狭川と須川の境界となっている尾根の上にあります。
山の上にひっそりとある行者堂です。
北村町北の山の上に北村城があります。
山の上の鉄塔近くにある、物見の城だったと考えられている城跡です。
須川から大柳生に抜ける古い道の周囲にたくさんの古墳があります。
明治時代に須川町内にあった五カ寺が神宮寺に統合されました。
戸隠神社の西の尾根に古墳が並んでいます。
笠置盆地を挟んで西側から笠置山を望む山の上に陣城があったようです。
笠置寺は巨大な山城でもありました。
笠置寺の前のご住職からいろいろとお話を伺いました。
あちこちで花が咲いていました。
草に埋もれて「石柱」が立っています。
「奈良坊目拙解」の般若坂と奈良坂の項に、中川越道に関連した興味深い記述があります。
旧柳生街道本道と思われるルートを実際に歩いてみました。
見応えのある山城跡です。
北東面に切岸と横堀がめぐらされていました。
浄瑠璃寺奥之院の滝の上に何か建物の跡がありました。
方形の館城で、奈良市東部「東山内」に多く見られる山内型の典型例です。
後醍醐天皇直筆の陣旗が伝えられたとの伝承がある神社です。
ここにもおかげ灯篭があります。
平清水北の行者山に役行者像があります。
園田町には耳が悪い人にご利益があるという薬師像があります。
年に一度の「しめかけ」で勧請縄が新しくなっていました。
森地区の山中にある在銘圭頭六字名号板碑です。
高野山の皆様が南山進流声明の故郷、中川寺跡を訪れ、実範上人御廟塔前でご法会を営まれました。
今年の般若寺のコスモスは例年より背が高くて、豪華に見えました。
毎年10月3日から5日にかけて西大寺本堂で営まれる光明真言会にお参りしてきました。
今年も奈良市中ノ川町実範上人御廟塔前で、実範上人のご命日法要が営まれました。
小雨降る石仏の道を歩いて、岩船寺を訪れました。
九体阿弥陀仏修理が続く浄瑠璃寺で、2021年6月23日から7月1日にかけ、次に修理される脇仏(4・6号像)の搬出と、修理が完了した中尊の搬入が行われました。
西狭川町の地蔵石仏です。
下狭川城の南東900mほどの山中にある山城跡です。
ここには昭和初年まで狹川氏のお屋敷があったそうです。
谷の真ん中に鎮座する巨岩に、阿弥陀像と不動明王像が並んで彫られていました。
解脱上人貞慶が建立した六角堂と貞慶の住房跡が史跡公園となっていました。
笠置から狭川へ抜ける古い山越えの道にある、十一面観音磨崖仏を訪ねました。
中墓寺の収蔵庫には平安時代の仏像が三体安置されています。
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!