明治時代に須川町内にあった五カ寺が神宮寺に統合されました。
明治7(1874)年に旧須川村の丸尾寺、薬師寺、妙蓮寺、羽林寺、神宮寺を廃し、もと羽林寺のあった現在地に統合して、神宮寺とされました。現在の建物は明治43年に改築されたもので、山門は忍辱山円成寺の横門が移されました。元の神宮寺は須川町戸隠神社の隣、現在須川町公民館がある場所にあり、僧侶が戸隠神社の守護を兼ねていたといいます。
(参考文献:「東里村史」1957、237頁)
庭に石造物が集められています。阿弥陀如来像には「天文十年(1541)辛虎/十月十五日」と銘があります。焼辻(ヤケンツジ)から移したものだそうです(「東里村史」1957、385頁)が、焼辻はどこなのでしょうか。
五輪塔は元は薬師寺にあったもので、鎌倉時代末頃の作風(「東里村史」1957、380頁)。
宝篋印塔(鎌倉)。笠上部に屋根型を作る形式の塔は、奈良県でのみ四例確認されており、そのうち吉野町薬師寺塔に建治四年(1278)の銘があることから、この頃の大和国に限り、この形式の宝篋印塔が造立されたようです。(「奈良県史 第七巻 石造美術」1984、293頁)
またこの宝篋印塔は、須川ダム南東の山際にある妙蓮寺跡の畑の中に半ば埋もれていたものを掘り出して移したものだといいます(「東里村史」1957、380頁)。
県道から神宮寺へ登っていく道の入り口付近に地蔵磨崖仏があります。
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!