草に埋もれて「石柱」が立っています。
加茂町史の「表22 当尾地区の石造物」では「石柱」とされている石。
荒っぽく柱状に整形された石に勢至菩薩を意味する梵字「サク」が刻まれています。
何のためのものなのかよくわからないのですが、勢至菩薩を意味する「サク」が刻まれていることから、二十三夜塔の可能性もあるでしょうか。月待の本尊は、十二天の一つである月天子(がってんし)で、一般的には月天子の本地仏である勢至菩薩を祀るといいます。二十三夜講は全国的に見られるそうですから、当尾でも二十三夜講が営まれていた可能性はありそうです。
下画像は近隣地域で見つけた二十三夜供養碑です。
忍辱山町の旧柳生街道に倒れていた圭頭状二十三夜供養碑。当初うつ伏せに倒れていたものをひっくり返すと二十三夜供養碑でした。
圭頭部に勢至菩薩を意味する「サク」を刻み、中央に「奉供養廿三夜二世安楽」、右に「正徳三(1713)???」、左に「十一月廿三日 ???」とあります。
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