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2022年1月8日(土)園田町薬師堂

  • 園田町には耳が悪い人にご利益があるという薬師像があります。

  • (2022年1月12日(水) 午前2時1分13秒 更新)
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園田町薬師堂神像(1691)「元禄四辛未年/二月吉日」。

隠れ里、園田町

2軒だけある園田町の、民家に入っていくような細い路地を少し上ると、右手に山の方へ登る古道があります。その途中、右側に薬師堂があります。薬師堂の中には、薬師如来像とも弘法大師像とも伝わる、右手を掲げ、何かふくろか水瓶のようなものを左手に持った神像が安置されています。しかし、薬師如来や弘法大師というよりは、女神像のように見えます。

たまたま下の畑にいた地元の方によると、この像は耳にご利益のある神様とのことでした。

その地元の方からは、いろいろとお話を伺いました。曰く「園田は、元は大和郡山から落ち延びてきた人が作った隠れ里のような村だったらしい。江戸時代もこの村だけ柳生藩ではなく小泉藩だった。昔は7軒ぐらいあったが今は2軒だけしかない。神社へ登る道の両脇にある畑が昔あった五軒の屋敷の跡。」とのこと。

古い地図を見ると、園田町の集落から神社のある山へ登っていく山道が、奈良パブリックゴルフ場ができる以前は、南庄町への主要道だったようです。つまりかつては主要道を挟むように家々が建っていたわけです。

ふと見ると、畑のヘリから突き出したパイプから、綺麗な水が途切れることなく流れていたので、「ご先祖は、きれいな水が豊富だから。ここに住むことにしたのかもしれないですね」と相槌を打ったところ、「いやきれいじゃない。上にゴルフ場があるから」とおっしゃられました。

「この辺はゴルフ場だらけだから、今はそれほどでもないのかもしれないけれど、芝生の農薬はきついらしいので、自分が中学の頃は大雨が降るとよく川に魚が浮いていた。」とのことです。

ところで薬師堂の傍には、小さな祠があります。その地元の方は「年寄りがもうみんな死んでしまったので、何の神社かはわからない」とおっしゃっていました。

一方、奈良市史・社寺編696ページには、「畑山と呼ぶ小高い山の上に廃春日神社がある。この神社は、明治41年(1908)11月9日に、須川の戸隠神社に合併され境内社となっている」とありました。明治時代末期の神社合祀令により、強制的に村の氏神が須川に合祀されてしまったものの、当時の園田の人々は、こっそり小祠を残したということなのかもしれません。また、この小祠には弘化3年(1846)と元治元年(1864)棟札があるそうです。

それから東里村史408ページには、「園田に昔、薬師寺と称する寺があり、本尊は薬師如来の石造坐像で、高さ約三尺元禄四年(1691)三月五日造顕のもので、現在籠堂の一角に安置されている。この薬師如来は耳の遠い人、眼の悪い人の祈願書として知られ、霊験あらたかで御利益を得た人が少なくないという。園田小村に過ぎたるものは「藤の鳥居に翁の面にまだ良いのは石薬師」という民謡がある。」と書かれていました。かつては、この薬師堂にお参りする人も多かったようです。

春日神社。傍の石灯篭に「奉喜進/元禄三年(1690)/午九月十七日」。

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