当尾と狭川を最短距離で結ぶ古道を歩いてきました。
ここから狭川へ降っていきます。
大畑から狭川へくだる道には、「大坂」という古い地名があります。何百年と人や馬がこの道を歩いたためでしょう。道は深く掘りくぼめられています。
倒木が多くすっかり荒れていますが、深いくぼみが長い年月ここが道だったことを教えてくれます。
はっきりと道の痕跡が残っています。
もうすぐ谷底です。
尾根の裾を巻いて下まで降りてきました。
谷底にたどり着くと、笹藪と化した放棄田を突っ切らなければなりません。イノシシかシカがこじ開けた獣道に飛び込んで、藪を漕ぎ漕ぎなんとか向こう側へ渡りました。
小川の向こうに、獣道が見えます。ここから藪をかき分けて進みました。意外にもほぼ元の道に沿って獣道があるようでした。
ここから出てきました。
谷の東側にある道はコンクリート敷ですが、道の左右から笹が覆いかぶさり、どこが道だかわからないようなところもありました。5、6年前は、コンクリート敷の道は普通に歩けたように思います。少なくともここまで荒れていませんでした。
左の林は大畑から降りてくる尾根の突端で、そこから谷を渡って右の山裾まで藪漕ぎしたわけです。
放棄田の谷から先は、山水に道が削られたりしていますが、道の跡はしっかり残っています。
ここから安郷川へ降っていきます。
この辺りは道が山水にえぐられています。
長い間通る人がいない割には、道が残っています。
右の藪を突っ切って降りてきました。藪になっているのは出口付近だけです。
明治22年に作成された西狭川村実測全図に「大坂」という地名が記載されています。今回歩いた道の周囲には「道ノ前」といった道に因んだ地名があり、長くこの道が主要な道だったことを窺わせます。明治に作成された旧東里村各村の実測全図は、奈良市東部出張所で複製を閲覧・撮影できます(要閲覧手数料)。
1975年に撮影された航空写真では、上空からも道がはっきりと見えています。
2021年に撮影された航空写真では、上空から見ても道の位置が全くわかりません。
大畑〜福智西山城〜下狭川行者堂〜歯痛地蔵〜国境の弁財天〜前椚古墳群 / 弥勒の道プロジェクトさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!