2022年12月15日(木)当尾から狭川に降る道
当尾と狭川を最短距離で結ぶ古道を歩いてきました。
- (2022年12月19日(月) 午前0時9分55秒 更新)
Tweet
![道の入り口 道の入り口](./i/3.SDIM4068.jpg)
ここから狭川へ降っていきます。
田畑の放棄とともに荒れゆく古道
大畑から狭川へくだる道には、「大坂」という古い地名があります。何百年と人や馬がこの道を歩いたためでしょう。道は深く掘りくぼめられています。
![倒木 倒木](./1/1/1/3.SDIM4072.jpg)
倒木が多くすっかり荒れていますが、深いくぼみが長い年月ここが道だったことを教えてくれます。
![SDIM4074 SDIM4074](./1/1/1/4.SDIM4074.jpg)
はっきりと道の痕跡が残っています。
![SDIM4078 SDIM4078](./1/1/1/5.SDIM4078.jpg)
もうすぐ谷底です。
![尾根の裾を巻いて下まで降りてきました。 尾根の裾を巻いて下まで降りてきました。](./1/1/1/6.SDIM4081.jpg)
尾根の裾を巻いて下まで降りてきました。
放棄田の笹藪
谷底にたどり着くと、笹藪と化した放棄田を突っ切らなければなりません。イノシシかシカがこじ開けた獣道に飛び込んで、藪を漕ぎ漕ぎなんとか向こう側へ渡りました。
![小川を越えて獣道へ。 小川を越えて獣道へ。](./1/1/2/3.IMG_5570.jpg)
小川の向こうに、獣道が見えます。ここから藪をかき分けて進みました。意外にもほぼ元の道に沿って獣道があるようでした。
![ここから出てきました ここから出てきました](./1/1/2/4.IMG_5582.jpg)
ここから出てきました。
![谷の東側のコンクリート敷の道。 谷の東側のコンクリート敷の道。](./1/1/2/5.IMG_5583.jpg)
谷の東側にある道はコンクリート敷ですが、道の左右から笹が覆いかぶさり、どこが道だかわからないようなところもありました。5、6年前は、コンクリート敷の道は普通に歩けたように思います。少なくともここまで荒れていませんでした。
![来た道を振り返る。 来た道を振り返る。](./1/1/2/6.SDIM4085.jpg)
左の林は大畑から降りてくる尾根の突端で、そこから谷を渡って右の山裾まで藪漕ぎしたわけです。
安郷川へ下りる道
放棄田の谷から先は、山水に道が削られたりしていますが、道の跡はしっかり残っています。
![安郷川へ下りる道 安郷川へ下りる道](./1/1/6/3.SDIM4114.jpg)
ここから安郷川へ降っていきます。
![道が山水にえぐられています。 道が山水にえぐられています。](./1/1/6/4.SDIM4115.jpg)
この辺りは道が山水にえぐられています。
![道 道](./1/1/6/5.SDIM4116.jpg)
長い間通る人がいない割には、道が残っています。
![右から降りてきました。 右から降りてきました。](./1/1/6/6.SDIM4118.jpg)
右の藪を突っ切って降りてきました。藪になっているのは出口付近だけです。
添上郡西(狭川)村実測全図(明治22年/1989年)
明治22年に作成された西狭川村実測全図に「大坂」という地名が記載されています。今回歩いた道の周囲には「道ノ前」といった道に因んだ地名があり、長くこの道が主要な道だったことを窺わせます。明治に作成された旧東里村各村の実測全図は、奈良市東部出張所で複製を閲覧・撮影できます(要閲覧手数料)。
![添上郡西(狭川)村実測全図(明治22年/1989年) 添上郡西(狭川)村実測全図(明治22年/1989年)](./1/1/3/3.jpg)
航空写真で見る古道
1975年に撮影された航空写真では、上空からも道がはっきりと見えています。
![航空写真で見る古道 航空写真で見る古道](./1/1/4/3.jpg)
2021年に撮影された航空写真では、上空から見ても道の位置が全くわかりません。
![大畑〜狭川の航空写真(2021年) 大畑〜狭川の航空写真(2021年)](./1/1/5/3.jpg)
大畑〜福智西山城〜下狭川行者堂〜歯痛地蔵〜国境の弁財天〜前椚古墳群 / 弥勒の道プロジェクトさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
Map.
Trackbacks.
更新情報
Recent Entries.
-
2024年2月28日(水)
-
2024年1月28日(日)
-
2024年1月23日(火)
-
2024年1月23日(火)
-
2024年1月3日(水)
-
2024年1月1日(月)
-
2023年12月13日(水)
-
2023年11月15日(水)
-
2023年11月5日(日)
-
2023年11月5日(日)