2014年2月1日(土)般若寺
花と石仏が美しい古刹です。
- (2015年2月18日(水) 午前0時30分50秒 更新)
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境内にそびえ立つ十三重塔が目を引きます。
威風堂々とした十三重塔
境内にそびえ立つ十三重石塔は日本最大の石塔です。南都焼き討ちの後、東大寺復興のために南宋から渡来した石大工、伊行末が建立しました。天を突くような威容が印象的です。大陸ならではの風格、という気がします。
伊行末とその子孫は奈良近隣に残り、数々の石塔や石仏をこの地に残しました。有名な当尾のわらい仏や弥勒の辻磨崖仏を彫った
それだけではありません。般若寺ご住職のブログ記事「般若寺 春の花だより 3・23: 般若寺 季節の花だより」によると、この大石塔の石は当尾で切り出され、まさに今日たどった道を牛に引かれ、ここまで運ばれてきたのだそうです。
反り返った笠石のデザインが、いかにも中国風に感じられます。建長5年(1253年)建立。
建立当初、十三重塔のてっぺんにすえられていた相輪だそうです。現在のものは四代目で、この相輪は工事の際土中から発見されたのだとか。
当尾のサンタイ阿弥陀三尊磨崖仏(わらい仏)。
花にあふれた境内
般若寺はコスモスで有名ですが、秋以外にも冬は水仙、春は山吹、夏は山アジサイと、四季折々に美しい花々が目を楽しませてくれるといいます。今回訪れたときはちょうど水仙が見頃でした。境内にはもてなしの心が感じられる工夫がいっぱいで、なんだかほっこりします。いいお寺です。
本堂の文殊菩薩像には、なんと副住職手づくりのハイテク人感知式LED証明が! 厨子に納められた文殊菩薩像の前に立つと、ぱっかんと厨子正面からライトが当たります。迫力のある獅子に乗った文殊菩薩様の凛々しいお姿が明るく照らし出され、細部までじっくり鑑賞できます。きらびやかな光背や黄金色の蓮の葉もいっそう輝いて見えます。
ただ、正直な感想を言うと、これはちょっと落ちつかない。。。右から眺めてみて、今度は左からと思って移動すると、ぱっかん! やっぱり右から…ぱっかん! 仏様の前に、しばらく落ちついて座っていられる場所もあるといいなと思いました。スイッチ押したら5秒ぐらい明るくなるってかんじでもいいんじゃないでしょうか (^^;。
(昔の新薬師寺さんみたいに)蛍光灯でお堂全体を明るくしてしまうよりはずっといいです(新薬師寺さんはシルクロードのBGM流したりしてたこともありましたね。ああいうのはどうかと思います…)。※個人の感想です。
<追記>
後日般若寺を再訪したときには、文殊菩薩像前の人感センサーが調整されて、ちょっと視点を変えたぐらいでは照明がついたり消えたりしなくなっていました。照明の明るさも、少しやわらかめになっていたような気がします。おかげさまで、お像をじっくり拝見させていただきました。
境内はすみずみまでよく手入れされています。
ちょっとしたパラダイス感も(笑)。
ここに平重衡供養塔があるというのは意外でした。これぞみ仏の教えってかんじがしますね。
また違う季節にも来てみたいなって思います。
寛永三年(1626年)編纂「大和名所圖會巻之二」に見る般若寺
今とほとんどおなじ姿だったようです。
現在駐車場になっているあたりに池があったみたいですね。十三重塔のまわりに置かれているのは、石仏でしょうか? このころは本堂を取り囲む形ではなく、十三重塔の基壇にたくさんの石仏が並べられていたのかもしれません。
こちらは江戸時代初期の奈良坂のようす。
昭和17年の十三重石塔
昭和17年発行の岡島善津次著「大和の石造美術」に、「十三重石塔」の写真が掲載されていました。
相輪が金属製に見えます。やっぱり相輪は金属(?)より今の石造りのものの方がかっこいいです。江戸時代の石仏が石塔をぐるりと囲んでいます。この頃はまだ「大和名所圖會」のままだったんですね。
こちらは唯一金銅だった三代目相輪だそうです。現在のものは四代目だとか。
@mirokunomichi 三代目相輪ですね。唯一三代目だけが金銅の相輪です。現在の相輪は四代目になります。笠塔婆もこれ以前は般若野廿五三昧(現般若寺町墓地)の入り口に西向き、道路面して建っていました。— ~コスモス寺~ (@kosumosudera) 2014, 3月 20
Map.
写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら。
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