2023年12月13日(水)下狭川中墓寺の平安仏
事前に予約をして収蔵庫「瑠璃殿」を拝観させていただきました。
- (2024年1月1日(月) 午後10時43分54秒 更新)
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元は槇山千坊にあったとも伝わる平安仏
奈良市下狭川町の中墓寺で、平安仏など拝観させていただきました(要事前予約)。1960年ごろ、石仏研究でも有名な太田古朴氏が、中墓寺の三体の仏像が平安時代後期ごろの優作だと明らかにしました。その後1981年に京都国立博物館でその三体の修理が行われ、1985年にこの年完成した収蔵庫に安置されました。
ご住職曰く、薬師如来坐像に金箔を貼ったのがいつの修理なのか、なぜ金箔を貼ることにしたのか、全くわからないとのことです。明治5(1872)年、下狭川の大念寺、西念寺を廃して、勝福寺があった地に、元は狭川東町にあった中墓寺を移しました。中墓寺の現在の本尊は旧西念寺の阿弥陀坐像(室町時代)です。
旧大念寺の阿弥陀立像は収蔵庫の右端にある厨子に安置されています。阿弥陀立像の前に置かれているのはおそらく日光菩薩か月光菩薩でしょう。収蔵庫内を見渡しても、片方しか見当たりませんでした。いくつか扉を開けていない厨子があったので、その中にもう片方がおられるのかもしれません。
『奈良六大寺大観』第10巻 (東大寺 第2),岩波書店,1968,78頁に、現在東大寺四月堂の本尊となっている十一面観音像が元は桃尾山寺(天理市桃尾山龍福寺)の旧仏であることに関連して、桃尾山寺の薬師如来像と釈迦如来像が中墓寺にあると書かれています。薬師如来像は中央の薬師如来坐像の左に安置されてる立像でしょうか。釈迦如来像は見つけられませんでした。
中墓寺の薬師如来坐像は、元は藤尾城跡すぐそばにあった「薬師堂」の本尊だったと伝わります。また狭川風俗誌によると、江戸中期ごろに薬師堂が勝福寺(現在中墓寺がある場所)に移されたといいます。またさらに遡ると南明寺の平安仏同様、元は槇山千坊にあったとも伝わります。
中墓寺の収蔵庫「瑠璃殿」には、江戸末期に狭川須川北村一円に設定された「新西国三十三所」の扁額など、いろいろ興味深いものがたくさん置かれていました。このあたりに興味があれば、見るべきものが色々ありそうに思います。ご住職に予定がない時は拝観可能です。
阿弥陀如来坐像(平安後期)
阿弥陀如来坐像(平安後期)
中墓寺本尊(旧西念寺阿弥陀如来坐像、室町時代ごろ)
厨子の奥が旧大念寺阿弥陀如来立像。手前に日光菩薩立像もしくは月光菩薩立像が置かれている。厨子の内側に刻まれた紋が独特。
薬師如来立像。天理市にあった桃尾山寺の旧仏である可能性がある。
新西国三十三所、勝福寺の扁額。長谷寺に当てはめて十一面観音菩薩が描かれています。
勝福寺の薬師堂にあったという薬師如来、日光月光菩薩、十二神将の板絵
薬師如来坐像の両側に日光月光菩薩がいます。
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