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2021年10月5日(火)西大寺光明真言会・奥之院参拝

  • 毎年10月3日から5日にかけて西大寺本堂で営まれる光明真言会にお参りしてきました。

  • (2021年10月9日(土) 午前11時52分49秒 更新)
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骨堂に打ち付けられる板塔婆

骨堂(こつんどう)に打ち付けられるこの一年の間に亡くなった西大寺一門僧侶の板塔婆。

綱維問訊・提灯たたみ

10月3日の夜、光明真言会初夜総番を参拝してきました。実は予備知識はなく、拝見したのも初めてで、いろいろ興味深かったです。光明真言が想像以上にゆっくりでした。一文字10秒以上かけてるんじゃないでしょうか。

綱維問訊では、綱維と呼ばれる法会の進行役を担う僧侶が、非常にゆっくりとした動作で、伏して再び立ち上がるまで、概ね15分ほどかけて、じわじわと五体投地を行います。綱維問訊は、五体投地を行う僧侶の姿が、まるで提灯を折りたたむようであることから、「提灯たたみ」とも呼ばれます。綱維は、黄色い法衣の僧侶が並ぶ中、一人だけ鼠色の法衣に白い袈裟姿で、聖性を帯びて見える目立つ格好をしています。

綱維問訊が始まると、太鼓が鳴り、篳篥や笙が奏でられ、そのリズムに合わせるように光明真言が唱えられます。知らずに拝見していたので、少し驚きました。いかにも奈良仏教という感じがします。

提灯たたみは本当にゆっくりで、じっと見てないと動いているのがわからないほどでした。今年の綱維を勤められた岩船寺の宥善師宥善師の提灯たたみはとても美しかったです。綱維問訊の時、宥善師の目の前に宥善師のお父上がいらっしゃったので、あとで気になったかどうか聞いてみたところ、(法会の世界に?)「はいっていた」ので目の前の灯篭の灯りぐらいしか視界になかったそうです。

ちなみに、長老役の唱える光明真言に合わせて五体投地を行うため、長老役がよりゆっくり唱える方だと、その分動きもゆっくりとなり、よりきついそうのだとか。

綱維問訊を拝見していて、一つ謎だったのが、綱維が提灯畳みの後堂内を回って、須弥壇の左奥へ去る時、去り際にさりげなく須弥壇南西角の柱を中啓(扇子)でペシッと叩いていたことでした。宥善師がいうには、かつては蝋燭の灯りぐらいしかない暗い本堂の中で、法会を執り行っていたので、中にいる僧侶には綱維問訊の様子はよく見えなかったのだそうです。そこで、去り際に中啓(僧侶の持つ扇子)を高く掲げて、その後その中啓で柱を叩くことで、目立つ動作と音をもって、綱維がお堂の中の僧侶に綱維問訊の終了を知らせていたのだとか。その名残が、綱維の所作に今も残っているということのようです。

奥之院参拝

10月5日には、光明真言会の締め括りとして、午後3時ごろから奥之院参拝があります。奥之院参拝では、大きな法会を無事終えた安堵からか、どことなく晴れ晴れと、のんびりした雰囲気が漂っていました。西大寺の街中を儀式用の法衣を着たお坊さまがたが雑談しながらぞろぞろ奥之院へ歩く様子はちょっとシュール。前方には大きな板塔婆を担いだ方も。

西大寺奥之院では叡尊さんのお墓の前で法要がありました。ふと見ると法要の傍に謎のトンカチが。そして大きな板塔婆はまた担がれて、次の場所へ運ばれていきます。

興正菩薩廟塔の西に村墓地があり、その入り口に室町中期からあるという、骨堂(コツンドウ、納骨堂)があります。骨堂の由来はよくわからないそうですが、元はお墓から出た(?)骨を放り込んでいたお堂だったのだとか。

実は西大寺から運んできた大きな板塔婆は、この一年の間に亡くなられた西大寺一門のお坊さんのもので、奥之院参拝ではそれを骨堂の外周に打ち付けるならわしとなっています。板塔婆を打ち付けるところは初めて見ました。次は誰の番かなど冗談も飛んでいました。

骨堂の西側面を見ると、2016年に亡くなられた浄瑠璃寺の前住職、快勝師の板塔婆もだいぶ黒ずんでいました。こうして次第に骨堂の壁と一体化していくのだろうと思います。

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