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2021年3月10日(水)大神田阿弥陀不動双体磨崖仏

  • 谷の真ん中に鎮座する巨岩に、阿弥陀像と不動明王像が並んで彫られていました。

  • (2022年10月21日(金) 午前9時57分22秒 更新)
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大神田阿弥陀不動双体磨崖仏

大神田(オオジンダ)阿弥陀不動双体磨崖仏

大神田阿弥陀不動双体磨崖仏への行き方

かさぎゴルフ倶楽部から北にすぐ、坂を上りきったあたりに林道の分岐があり、そこに二つ道標が立っています。二つある道標のうち「史の道ハイキングコース」の道標の右側に、「石あて地蔵」があります。「石あて地蔵」は台座しかありません。

「後醍醐天皇が笠置山にいる」と漏らした村人を罰するため、その村人そっくりに作ったお地蔵さんを作り、そのお地蔵さんに石をぶつけることにしたところ、いつしかお地蔵さんがすっかり石に埋れてしまった。のちに石を取り除いてみると、お地蔵さんはなく台座だけがあった。「石あて地蔵」には、そんな伝承があるそうです。

さてこの道標の左側にもう一つ道標がありますが、大神田阿弥陀不動双体磨崖仏へは、これら二つの道標の間を抜け、古い道の痕跡をたどって谷底へ下りて行きます。

谷の真ん中で威容を誇る巨岩

平坦で広い谷底をしばらく歩くと、谷の真ん中に二階建ての家ほどもある巨大な岩が見えてきました。

今回「南山城 石仏の里を歩く」という本を参考にしたのですが、著者である石田正道さんは、「ふるさと案内かも」の案内人として当尾などを案内をされていることがあって、何度かお会いしたことがあります。その時石田さんに、この石仏の場所についてお話を伺ったところ、石田さんは「この辺りはどこを下りても全て同じ谷に出てくる。その谷を少し歩くと谷の真ん中に大きな岩があるからすぐわかる」とおっしゃっていました。

まさに石田さんのおっしゃる通り、谷の真ん中の大岩は、遠目にも異様な存在感を放っていました。そしてその大岩の右側(東側)、真下に立っても全く手が届かないほど高い位置に、大神田阿弥陀不動双体磨崖仏はありました。

高さ60cm、幅40cmほどの方形の枠を彫りくぼめ、その中に半肉彫の阿弥陀像と不動明王像が並んでいます。室町後期の作風とされますが、阿弥陀像と不動明王像が並ぶものは珍しいそうです。(笠置町教育委員会「笠置町と笠置山 ーその歴史と文化ー」1990、76頁)

水田を作った神宿る巨大な磐座

かつてはこの磨崖仏の前に下流へ続く道があったのかもしれませんが、今は磨崖仏の前に水の流れがあるので、山の急斜面を巻くか細い獣道を歩くしかありません。この磨崖仏を何度か訪れている方によると、以前は磨崖仏の下まで降りて行くのに苦労しなかったといいます。このところ訪れるたびに山の斜面が崩れているように感じられるとのこと。数年前の台風で、大きく崩れた可能性もあるようです。

ところで冒頭の写真は下流側から上流側を撮影したものです。大岩より上流の地面が一段高くなっているのがわかると思います。つまり、この大岩が天然の砂防ダムとなって上流の土砂を堰き止め、この大岩より上流に谷底が平坦な谷を形作ったように見えます。一方この大岩より下流は大小の岩が散らばり、とても耕作可能には思えませんでした。

そのことは1975年に撮影された下航空写真を見てもわかります。この頃はまだ大神田に水田があったようです。

水田を作った巨大な磐座

このあたりを大神田(ダイジンダ)と言うそうですが、この大岩が古来磐座として信仰されていたとすれば、まさにこの大岩が水田を作り出したわけですから、実にこの地にふさわしい名前だと思います。

磨崖仏のある谷を下って行くと、笠置寺から解脱上人(貞慶)墓地へ通じる墓地道に出ます。墓地道の谷底にある六地蔵は、この磨崖仏の150m下流にあたります。ただ谷沿いに道はなく、急な山の斜面にある獣道をたどらなければなりません。磨崖仏から六地蔵の間に砂防ダムがあり、あまり安全とは言えないルートですので、危ないと思ったら引き返すのが無難です。

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