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2014年2月11日(火)探検、中川寺! 西側に尾根まで届く大スロープ!

  • 中川寺跡と言われる谷を、中川寺の痕跡を探してうろうろしてきました。今回は谷の西側に谷底から尾根までまっすぐに伸びる大スロープをみつけました☆

  • (2014年4月18日(金) 午後9時46分40秒 更新)
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尾根まで届くスロープ

尾根まで届くスロープ

県境の道から谷の西側へ!

前回、谷の東側を探検し、人工的な平坦地がいくつもあることをみつけました。今回は谷を挟んだ向かい側に中川寺の跡がないか探索します。まずは県境の道から谷の西側の山の中を、谷に沿って歩いていきました。するとすぐに飛び地のような平坦地がありました。谷底へ下りるスロープまで据え付けられています。

谷底から尾根筋までまっすぐに伸びる大スロープ!

最初の平坦地からすこし南へ歩くと、また平坦地が現れました。四角く区画され、見るからに人工的な平坦地です。その平坦地の先には谷底から尾根筋まで届くまっすぐなスロープがあり、スロープの南側に沿って、四角く整地された平坦地が、階段状に何段も作られていました。

スロープは尾根筋の道につながっています

谷底からまっすぐ伸びるスロープを上りきると尾根筋の道に出ました。今日探検してみる前は、県境の道(=笠置街道)側に中川寺の山門があったのではないかと考えていました。ところが、結局それらしい場所はみつかりませんでした。中川寺の山門があったのは、谷の西側、尾根から谷底へ下りるスロープに入るあたり、だったかもしれません。

階段状に連なる平坦地

スロープの南側には四角く整地された平坦地が、階段状に作られています。

谷底に近い一段目と二段目の平坦地は、南側につきだした子尾根のあたりまで広がっています。

わずかに残る石材

明治時代に中川寺は完全に破壊され、礎石を含め、残された石材はことごとく運び出され、いずこかへ売り払われたそうです。中川寺は室町時代、応仁の乱終息の数年後、寺内で争いが起こり、本堂を残して全山のほとんどが焼け落ちたといいます。明治を待たずとも、寺が衰退する過程で、基壇など使われていない資材が、他の寺院などに運ばれ再利用された可能性もあると思います。

もう一度東側へ

前回、歩いた軌跡を記録した GPS ログを地図上に描いてみて、GPS ログを記録しながら平坦地の縁を歩けば、中川寺跡の平坦地を地図上に描けるんじゃないか? と思いつきました。そこで、谷の東側も、もう一度歩いてみることにしました。

今回は東側にも、前回気づかなかった平坦地をみつけました。ただ、地図上に中川寺の区画を描くには、iPhone の GPS ログだけでは精度が低くてうまくいかないようです。ということで、次回は区画をメモしながら歩いてみようと思います!

注意!

奈良県では11月15日から翌年3月15日(延長されない年は2月15日)までシカ・イノシシの狩猟期間となっています。この付近はイノシシの被害が多いため、山中にククリワナが多数しかけられています。ククリワナに人間の足がかかることはまずありませんが、万が一かかっても手でワイヤーを緩めれば簡単に取り外せます。

ハンターが狩猟を行っていることもあります。道を外れて山中を歩く際は、オレンジや黄色のベストやウィンドブレーカー、帽子を着用し、できるだけ目立つ服装をしてください。白いタオルを腰にぶら下げていると、シカのお尻の白い毛と間違われる恐れがあります。絶対にやめましょう。

夏期は薮が濃くなり迷いやすくなります。またマムシがいますので、注意が必要です。出かける前に、どのあたりに向かい何時頃下山する予定なのか、おおまかな予定を誰かに伝えておきましょう。

Map.

緑色の線が今回歩いた軌跡です。青は前回歩いたところ。写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら。省略した写真も多数載っています。

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