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弥勒の道プロジェクト

「弥勒の道」とは?

現在奈良市と木津川市の境となっている古い道は、奈良から中川寺、浄瑠璃寺、岩船寺を経て、弥勒信仰の聖地笠置寺につづく信仰の道でもありました。この道の途中、ちょうど一番高い峠にさしかかるあたり、岩船寺近くの弥勒の辻に、笠置寺の弥勒磨崖仏を模した線彫り磨崖仏があるのが象徴的です。そこでこの古道を「弥勒の道」と(勝手に!)名付けることにしました。

ちなみに昭和18年出版の「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」には、奈良から北東へ笠置に向かってまっすぐ伸びる道に、「笠置街道」と書かれています。この「笠置街道」本道はその後、県道33号線「笠置道」として拡張され、道が一部付け替えられたようです。

ところで大和志によれば、「笠置街道(廣岡越)」には「中川越」と呼ばれる支線がありました。これが現在、奈良市と木津川市の境となっている道で、中ノ川で本道と分かれ、浄瑠璃寺へ通じています。浄瑠璃寺からは、加茂へ下りる道のほかに、岩船寺南にある弥勒の辻を経て、現在の奈良市狭川へ抜ける道がありました。さきほど「弥勒の道」と名付けたこのルートは、笠置街道本道に比べ多少上り下りがありますが、奈良から笠置への最短ルートとなるため、少しでも近道したい旅人や浄瑠璃寺・岩船寺に立ち寄る用のあった人々に、日常的に利用されたことでしょう。

「弥勒の道」すなわち「笠置街道中川越」は、狭川で本道と合流した後、笠置で「伊賀伊勢道」に接続します。笠置からさらに遠く、伊勢神宮へ向かう旅人も多かったにちがいありません。

明治期の地図。

この明治時代の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。赤線の部分では、尾根筋などの地形というより、街道によって県境とされていることがわかります。左端に見える線路はあの大仏鉄道です。

» 大きな画像(A4/300dpi/12.7MB)

1918年(大正7年)の「奈良市街全圖・實地踏測」中の略地図でも、「弥勒の道(中川越笠置街道)」は主要な道として書かれています。

奈良市街全圖:實地踏測(1918年/大正7年)

右上の赤で着色した道が、「弥勒の道(笠置街道)」です。

昭和18年出版の「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」2ページ目に掲載されている地図。

「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」の地図

現在の国道369号線はまだなかったようです。「当尾と柳生の寺々 : 浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺 其他」4ページに「…中川寺址、浄瑠璃寺、岩船寺は笠置街道沿ひに…」とあります。

「弥勒の道」を歩いたヒトビト

遅くとも平安時代後期には存在したと思われるこの古道は、千年近くにわたり、あるいは千年を越えて、つい最近まで、多くの旅人が歩いた道でした。

実範上人(〜1144年)
中川寺成身院の開祖。荒廃していた唐招提寺を復興するとともに、戒律復興を唱えて東大寺戒壇院受戒式を定めました。中川寺に隠遁後も忍辱山円成寺、浄瑠璃寺など、周辺の山岳寺院に関わりました。
解脱上人・貞慶(1155年〜1213年)
興福寺に入り11歳で出家、法相・律を学び、学僧として期待されましたが、僧の堕落を嫌って弥勒信仰の聖地、笠置寺に隠遁しました。1205年に興福寺奏状を起草し、法然の専修念仏を批判しその停止を求めたことでも知られます。晩年は観音の補陀落浄土への往生を望み観音霊場海住山寺に移住し、59歳で入滅しました。
南都復興のために働いた牛たち
鎌倉時代、奈良の寺社復興のために多くの資材を運ばされ、それが原因でたくさんの荷牛が死にました。緑ヶ丘浄水場から中ノ川に向けて尾根筋を登りきったあたりにある「牛塚」はそうした荷牛を供養するために建てられたと伝えられています。般若寺大石塔の石は当尾で切り出され、やはりこの道を牛に運ばれたのだそうです。
東大寺復興のために集められた石大工たち
南都焼き討ちで荒廃した東大寺修復のため中国から伊行末ら石大工が招かれました。笑い仏・弥勒の辻の磨崖仏は伊行末の孫、伊末行の作です。石大工の末裔たちは奈良や当尾など近隣に残り、たくさんの石仏を残しました。
お陰参りに熱狂した人々
江戸時代、集団で伊勢神宮へお参りするお陰参りが度々流行しました。古道沿いに建てられた伊勢参りの記念碑(牛塚)は、伊勢参りの人々がここを通ったことを今に伝えています。岩船の「おかげ踊り」はそのなごりでしょう。
遅くとも平安時代末から近代までの無数の旅人たち
この道が重要な道だったことは現在も県境になっていることから明らかです。山中の小径に不釣り合いな石橋が残っていることも、往時の頻繁な往来を偲ばせます。また弥勒の辻磨崖仏は、かつて「足の神さん」と呼ばれ多くの旅人が健脚を祈ったと伝わっています。
堀辰雄
堀辰雄の「大和路・信濃路」「浄瑠璃寺の春」には次のように書かれています。「奈良へ()いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、()っとたどりついた浄瑠璃寺の…」「その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとずれた…」 つまり、この日堀辰雄夫妻は、奈良から浄瑠璃寺までこの道を行って帰って来たようです。奈良から「二時間あまり」、つまり10キロ程度で浄瑠璃寺にたどりつくには、この道以外考えられません。

現在の県境をまたぐたくさんのキーワードが出てきました。「弥勒の道」は、奈良と、南都の聖山というべき加茂〜笠置の寺社との間の強い歴史的結びつきを象徴する道だと言えるでしょう!

「弥勒の道プロジェクト」に参加するには?

「弥勒の道プロジェクト」は誰でも参加できます。

  • 長い長い歴史を持つ道が自分たちの世代で失われることが忍びない!
  • 県境で分断された歴史を、古道の再発見によってつなぎなおしたい!

そんな思いを共有できる方ならどなたでも歓迎です!

プロジェクトのミッションは次のとおりです。

  • 古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること。
  • 古道周辺を探検してみること。
  • ハイキングコースなどの形で古道を復活させる方法を模索すること。

ぜひ、あなたのまわりの人々、奈良市や木津川市、あなたの町の市議会議員さんに、あるいは交流のある有名人に、古道のことを伝えてください!

この道は誰のもの?

木津川市役所管理課で確認したところ、京都と奈良の県境となっている道は、「里道(りどう)」であり、法定外公共物として木津川市もしくは奈良市が所有しています。

したがって、(里道と私有地の境界は必ずしも確定していないものの)里道隣接地所有者が市の許可なく道の原状を変更すると市の法定外公共物管理条例違反となります。たとえ私有地の中にある荒れた山道でも、道の部分だけは市の所有となっていて隣接地所有者が自由にすることはできません。

(行為の禁止)
第3条 何人も、法定外公共物について、次に掲げる行為をしてはならない。
(1) 法定外公共物を損傷し、又は汚損すること。
(2) 法定外公共物に土石、竹木、ごみその他これらに類するものをたい積し、又は投棄すること。
(3) 前2号に掲げるもののほか、法定外公共物の保全又は利用に支障を及ぼすおそれのある行為をすること木津川市法定外公共物管理条例
(行為の禁止)
第3条 何人も、法定外公共物の保全又は利用に支障を及ぼし、又は支障を及ぼすおそれのある行為をしてはならない。
奈良市法定外公共物の管理に関する条例

もし道の通行を妨げる行為をみかけたら、木津川市もしくは奈良市の管理課に通報してください。メールする場合は、状況を写真に撮って送るとなおよいでしょう。市条例違反として対応されます。

通行を妨げている行為を見かけたらすぐ通報!

奈良市 建設部 道路室 土木管理課
電話:0742-34-4893
E-mail:dobokuk<somebody@on.the.net>city.nara.lg.jp
木津川市 管理課
電話:0774-75-1221
FAX:0774-72-8382
E-mail:kanri<somebody@on.the.net>city.kizugawa.lg.jp

上地図、赤い線の県境の古道は「里道」ですが、紫の線の道路は「私道」だそうです。この私道の持ち主に確認したところ、この道は土地取得以前からある勝手道なので、誰でも通ってかまわないとのことでした。かなり昔に当尾西小の人が作った道なのだそうです。この道の33号線側の入り口には、最近まで「浄瑠璃寺南口」というバスの停留所があり、かつては浄瑠璃寺に向かう多くの観光客がここで降りたと言います。(この地図はGoogle マップで作成した地図に着色したものです。)

関連情報

弥勒の道プロジェクト

弥勒の道プロジェクト

奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!

*弥勒の道プロジェクトは「浄瑠璃寺南に奈良市ゴミ焼却場(クリーンセンター)を建設する現計画の撤回を求める署名」に賛同しています。

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