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2021年7月1日(木)浄瑠璃寺九体阿弥陀仏修理・中尊修理完了

  • 九体阿弥陀仏修理が続く浄瑠璃寺で、2021年6月23日から7月1日にかけ、次に修理される脇仏(4・6号像)の搬出と、修理が完了した中尊の搬入が行われました。

  • (2021年7月10日(土) 午後11時55分18秒 更新)
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軽トラックで本堂前まで運ばれてきた中尊像。

軽トラックで本堂前まで運ばれてきた中尊像。

浄瑠璃寺九体阿弥陀仏修理を担当している美術院の皆さんが休憩している時などに、いろいろと質問してお話を伺うことができましたので、お聞きした話をトピックごとにまとめました。修理リーダーの橋本主任技師を始め、お疲れのところ快く質問に応じてくださった美術院の皆様に感謝いたします。

ただ、以下のまとめは、聞き取りのメモを元にしていますので、必ずしも正確ではなく、美術院の皆さんが実際におっしゃったこととは異なる可能性があります。その点ご留意ください。

ほとんど全ての化仏が取り付け直された光背

(中尊光背の身光裏面(中央にある二つの円の下側)に「寛文八(1668)年」の銘があり、寛文六(1666)年に浄瑠璃寺本堂が瓦葺きに変えられた時、光背も新たに作りなおされたと考えられています。)

光背の化仏の裏には戒名のようなものが書かれていた

中尊光背には化仏が千体近くあるが、そのうち、光背が作られた当初(江戸)からある、鉄釘で取り付けられたものについては、一度取り外して竹釘で取り付けなおした。明治時代の修理で取り付けられた化仏は銅釘で、まだしっかりしていたため取り外さなかった。少なくとも取り外した化仏については、全て裏面に寄進者の戒名のようなものが墨書きされていた。そこで、取り外した化仏の背面を一体一体赤外線撮影した。竹釘で取り付け直したのは、鉄釘だと錆びて光背と化仏を痛めてしまうためだが、原状を再現するため、竹釘には一つ一つ墨で鉄釘風の色を差した。竹釘は元の鉄釘に似せて、少し大きめの四角い断面をしている。一方明治の修理で使われた銅釘は細い。竹釘に接着剤のようなものは使っておらず、竹釘だけでしっかり留まっている。当初は緩んでいる化仏だけを直す予定だったところ、ほとんど全て取り付け直すことになり大変だった。

一日に百体近くを取り付け直すというペースで、作業を進めた。一度に一定数をまとめて取り外し、どの位置にあったかわかるよう、取り外した化仏と元あった場所に同じ文字を書いた付箋を貼っておいて、調査の後、正確に元の位置に取り付けた。そうして千体近くの化仏が取り付け直されたが、見た目としてはどこを修理したかわからないと思う。(橋本主任技師からお聞きしたことのまとめ/竹釘のことについては別の美術院の方も丁寧に教えてくださいました)

江戸時代の化仏と明治の化仏の見分け方

江戸時代の化仏と明治の化仏は、彫り方が違う。江戸時代の化仏は、ふっくらとした丸みを帯びている。明治時代の化仏は、元の木の角ばった感じがまだ残っていて、体が薄い。我々は、見ればすぐわかる。(橋本主任技師からお聞きしたことのまとめ)

光脚近くに、今ある場所と違う場所に化仏が取り付けられていた痕跡がある理由

光脚脇の光背に、現存する化仏の位置と違うところに化仏の跡や釘穴があるのは、この辺りは明治の修理で新たに作り直された化仏がつけられているからで、明治の修理では、元の位置をそれほど気にせず、隙間を埋める形で化仏を配置したようだ。(橋本主任技師からお聞きしたことのまとめ)

光背のパーツの間にできた隙間をなくすことはできない

光背の周縁部は、三つのパーツに分かれていて、パーツの間に隙間ができているが、これは長い年月の間に材そのものが縮んでできた隙間なので、パーツを嵌め直しても消えることはない。周縁部を挟み込んで支える光脚(光背の最下部)を分解して調整すれば、隙間をなくせるかもしれないが、一種の破壊を伴うので、現状維持を原則とする文化財修理では行わない。どうやらかなり古い時代から、もうすでに、縮まない木材を手に入れることは難しかったようだ。(作業の合間に休憩されていた美術院の方から伺った話)

修理前より安定してはまった

光背は修理前より安定してはまった。銅線で引っ張らなくても自分で立ってる。(現場で聞こえてきた橋本主任技師のコメント)

光背が修理前よりすっきりしてみえるのは、埃が払われたこともあるが、今回、鉄釘が緩むなどして傾いていた化仏の向きが修正されたこともあると思う。(美術院の方のお話)

想定外の重さだった中尊像

(以下は、橋本主任技師からお聞きしたことや、現場から聞こえてきたことのまとめです。)

中尊の重さは162キロ!

中尊は予想よりずっと重く、搬出時には最初全く人力では持ち上がらなかったため、台座に固定されていることも疑った。明治の修理で底面に板が嵌められたが、それだけでなく底面の周囲と内部に構造材が追加され、大幅に重量が増した。これらの構造材が中尊を補強していることは確かであるものの、現在の我々から見ると過剰に思える。それは他の像や台座も同様で、かなり重くなっている。

中尊の重さは162キロで、運搬用担架を含めると200キロ近い。人力で運ぶことを考慮して、担架には細い角材を使い軽量化に努めているがそれでも相当重くなった。持ちやすい形をしているわけでもないので、人力で運び上げるのは大変。

中尊設置でたいへんだったところ

どこのお寺でもそうだが、ここのお堂はお像を運び出すには小さすぎる。足場を組んでチェーンブロックで吊り下げる方法もあるが、そうするだけの場所がなく、人力でやるほかない。ここのお堂の場合、下手に持ち上げると中尊の右手が梁に当たる恐れもある。動かし方に制約がある。養生を外した最終調整では、お像を引きずって動かせないので、皆でわずかに持ち上げて少しずつ動かしている。ミリ単位のシビアな作業。

中尊は実は傾いている

真っ直ぐ座っても向かって左側に傾いている。台座の傾きで調整はしているが、これ以上やると蓮肉(台座)の上面が傾いてくる。本堂で見ると首がそんなに歪んでいるようには見えないが、ちゃんとした台の上に乗せると、首が左に傾いている。そのため、どうしても頭部が正確に真ん中にはおさまらない。

剥落留めにはレーヨン紙を使う

どのお像も正面から見ているとそれほど傷んでいるようには見えないが、近づいてみると、漆箔の浮き上がりがあちこちにあり、そのままではほとんど触われないような状態となっている。そのため運び出しの前日から養生、紙貼りをして運べるように準備して動かす。剥落留めにはレーヨン紙(不織布)を使っている。レーヨン紙は薄いのでこういう用途に合っている。レーヨン紙に薄く溶いたニカワを細い筆で塗って、搬出前の仏像の漆や金箔が剥がれ落ちそうなところに貼り付けておく。作業時に水で湿らせるとすっと取れる。剥落留めを取ったなり漆が剥がれたりするので、取りながら修復していく。

年々作業がスムーズに

今回修理する脇仏については、修理に加わっている皆、もう手順とか重量などを認識しているので、作業は順調に進められると思う。もう皆わかっているので、安心して作業を進められる。

脇仏の配置替えは不可(浄瑠璃寺ご住職のお話)

今回、中尊を搬入するスペースを空けるために、去年戻ってきた5号像(中尊から見て右脇・向かって左脇)を一つ左に移動させた。すると、中尊の両脇が空いて、脇仏の配置が左右対象となりバランスが良かったので、一年間このままにすることができないか、橋本主任技師に相談した。脇仏の場所を変えると、その場所に合わせて取付金具や本体が歪んでしまい元に戻せなくなる可能性があると言われ断念した。

去年の中尊搬出に続き、「紡ぐプロジェクト」が公式サイトやツイッターで、修理や中尊搬入の様子をレポートしています。

今回は美術院の皆さんから色々とお話を伺う機会があり、たいへんおもしろかったです。ただ、中尊が傾いているというのは、その後何度中尊を見てもよくわかりませんでした。おそらく、素人にはわからないくらいの微妙な傾きをおっしゃっていたのだろうと思います。

美術院の皆さんは、華奢に見える方でも、意外と腕が太いのに驚かされました。細かい作業だけでなく、今回のように重たいものを持ち上げる作業もたくさんあるからでしょうか。去年よりは幾分涼しかったような気もしますが、連日蒸し暑い中、本当にお疲れ様でした。

毎年のことですが、梅雨時にもかかわらず、仏像の搬出入時には、なぜか雨が降りません。今年も、中尊の搬入が終わった途端、雨続きとなりました。何かに守られているからだと言われても、納得しそうです。

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