2015年1月5日(月)ずんど坊の杖
森八幡宮の裏手に怪力の大男「ずんど坊」が杖にしたと伝わる岩があります。
- (2015年1月6日(火) 午前0時19分7秒 更新)
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こちらから見ると杖に見えなくもないのですが…。
ずんど坊の怪力ぶりを伝える伝説です
ふるさと案内加茂の発行している「加茂の昔話」に森地区の伝説として「大男ずんど坊」のお話が収録されています(55ページ)。
昔、当尾に怪力無双の大男が住んでいました。毎日、山で薪の束を作り山のように背中にしょって奈良の町へ売りに行くのが仕事でした。
ある日、牛を引いて奈良へ行く途中、橋を渡っていると、向こうから殿様の行列がやってきました。困ったずんど坊は、とっさに牛の前足二本と後足二本を両手でぐっと握り、力一杯牛を持ち上げて、欄干より外に突出して行列を待っていました。この有様を見た殿様は、「何と大力の者ぞ」と感心され、「召抱えたいと思うが、一日どれくらい飯を食べるか」と尋ねられたということです。ずんど坊は大きくいえばよいと思い、「一日一斗は食べる」と答えたので、それには殿様も、「役には立つであろうが、あまりの大食は賄に困る」といって召抱えられなかったということです。
また、昔はお祭りの相撲大会が娯楽で、各地で相撲が盛んに行われていました。ずんど坊も見物に行っていたところ、勝残った最後の力士が、「誰か他に我に相手になる者はいないか」と、大声を張り上げ、自信ありげに周囲を見廻しました。ずんど坊は「俺が取ろう」と名乗り、何を思ったか近くの竹薮へ飛び込み、これぞと思う青竹を一本引き抜き、青竹でしめこみをして土俵へ上がりました。これを見て、先程まで勝誇って居丈高になっていた力士は、こんな怪力者と角力を取ったらどうなるかわからないと、ほうほうの態で逃げてしまったということです。
また、東小のカラスの壷にある「一鍬地蔵」は、ずんど坊が東大寺鐘楼建立の折り、寄進助力のために奈良へ行く道すがら、大きな鍬で岩をかき取った跡とも言われています。
これほどの怪力ならば、大岩を杖にしてもおかしくないですね。
気になるのは、ずんど坊が、森八幡宮のあたりからしょっちゅう奈良へでかけていることです。一鍬地蔵を経て奈良へ向かったということは、森八幡からいったん尾根筋へ上がり、尾根づたいに弥勒の辻に出て、そこから先は笠置街道を歩くことになります。弥勒の辻、わらい仏、唐臼の壷、一鍬地蔵、浄瑠璃寺南大門(赤門)、中川寺をたどる道です。
伝承の真偽はともかく、森八幡宮から奈良へ出るルートの途中に一鍬地蔵があるとされているあたり、長らく笠置街道が主要道であったことを示していると思います。
ところで一鍬地蔵は鎌倉中期の作なので、「東大寺鐘楼建立の折り」とは、南都焼討後の鐘楼再建時ということになるのでしょうか。ずんど坊は鎌倉時代の人のようです。
ずんど坊の杖の案内板。ずんど坊の杖はこの案内板のところから、左奥へまわったところにあります。
冒頭の写真のように、見る角度によっては細長い円筒形の岩に見えなくもないのですが、横に回ると実は平たい岩だとわかります。とても杖には見えません。木や薮がなかったころ麓から見上げると、杖のように突き立って見えたのかもしれません。
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