2014年12月10日(水)【動画】奈良から奈良坂般若寺を経て浄瑠璃寺へ、堀辰雄も歩いた笠置街道を行く
堀辰雄が「浄瑠璃寺の春」で歩いた道〜笠置街道〜をたどって、奈良東大寺南大門から般若寺を経て、浄瑠璃寺まで歩いてみました。
- (2016年3月5日(土) 午前10時43分59秒 更新)
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東大寺南大門〜法華堂(三月堂)〜転害門〜般若寺〜護摩石〜中ノ川
堀辰雄が、昭和18年(1943年)6月に「大和路・信濃路」の「浄瑠璃寺」として「婦人公論」に寄せたエッセイ「浄瑠璃寺の春」には、次のような記述があります。
「奈良へ
著 いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英 や薺 のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸 っとたどりついた浄瑠璃寺の…」「その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとずれたのち、さんざん歩き疲れた足をひきずりながら、それでもせっかく此処まで来ているのだからと、春日の森のなかを馬酔木の咲いているほうへほうへと歩いて往ってみた。」
つまり、この日堀辰雄夫妻は、奈良から浄瑠璃寺まで自分の足で歩いて往復したようです。奈良から「二時間あまり」、すなわち10キロ程度で、浄瑠璃寺にたどりつくには、(このプロジェクトが「弥勒の道」と呼ぶところの)笠置街道を歩いたとしか考えられません。
そこで今回、堀辰雄も歩いた、奈良坂から浄瑠璃寺までの笠置街道を、全行程ヘッドマウントカメラで撮影しました。途中、中川寺跡を探検したりしているので、全部見るには6時間ぐらいかかります。とばしとばし興味のあるところだけを見るのがおすすめです(^^;。それに画面が揺れるので、ずっと見ていると気持ち悪くなると思います…。YouTube には、見どころへスキップするリンクがあります。
道中ひとりでぶつくさしゃべっていますが、おかしなことを言っている可能性がありますので、あまり信じないようにしてください…(^^;。
00:14:55 法華堂(三月堂)前の石燈籠
00:19:40 二月堂
00:28:30 転害門
00:39:30 般若寺
00:43:20 奈良坂の道標
00:52:30 緑ヶ丘浄水場にある伊勢伊賀道の道標
00:58:50 山道への入口
01:04:45 牛塚
01:12:30 護摩石のある尾根の入口
01:16:35 護摩石
明治時代の地図には護摩石へ向かう道が点線で書かれています。梅谷の三角点(216m)のあたりに護摩石があります。
護摩石。宝塔の基壇と考えられています。
動画で見る中川寺探検!
中川寺跡を動画で探検しましょう! 写真より動画の方が立体感が伝わると思ったんですが、薄暗い雑木林の中だと、ますます画面がぶれて、いまいちですね。ぜひ一度実際に行ってもらえるとうれしいです(くれぐれも自己責任でお願いいたします)。
00:13:20 冬眠中のカエルを起こす
00:45:40 三社神社
00:53:10 中ノ川辻堂地蔵石仏
00:58:00 実範上人御廟塔
01:10:50 瓦発見
01:25:02 東のスロープあたり
01:29:55 谷に岬のように突き出した平らに整地された場所
この動画で歩いた軌跡はだいたい上図のようなかんじです。左上の赤丸からスタートし、反時計回りに中川寺跡をぐるりと一周しました。下の欠けている部分は車道を通っています。
冬眠中のカエルを起こしてしまいました。
瓦が落ちていました。
中ノ川〜赤門坂〜水呑み地蔵〜浄瑠璃寺
さあ、いよいよ浄瑠璃寺まであとすこしです! しかしその前に難関が立ちはだかるのでした。堀辰雄は赤門坂のことを次のように書いています。
なにもかもが思いがけなかった。――さっき、坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っていた一人の娘にたずねてみると、「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、二丁ほどだす」と、そこの家で寺をたずねる旅びとも少くはないと見えて、いかにもはきはきと教えてくれたので、僕たちはそのかなり長い急な坂を息をはずませながら上り切って、さあもうすこしと思って、僕たちの目のまえに急に立ちあらわれた一かたまりの部落とその菜畑を何気なく見過ごしながら、心もち先きをいそいでいた。あちこちに桃や桜の花がさき、一めんに菜の花が満開で、あまつさえ向うの藁屋根 の下からは七面鳥の啼 きごえさえのんびりと聞えていて、――まさかこんな田園風景のまっただ中に、その有名な古寺が――はるばると僕たちがその名にふさわしい物古りた姿を慕いながら山道を骨折ってやってきた当の寺があるとは思えなかったのである。
さてそんな坂の下は今どうなっているのでしょうか。
00:12:10 赤門坂下の養豚場
00:14:36 違法な立て看板〜意図的に引き倒されたように見える倒木
00:22:00 水呑み地蔵
00:27:35 浄瑠璃寺
養豚場と養豚場の敷地の間を通る里道については、こちらの記事「浄瑠璃寺裏の養豚場」をお読みください。
※2016年2月現在、草刈りなど道の整備が進み、状況がかなり改善されています。
【とりあえず間違いに気づいた所】
*浄瑠璃寺南大門が燃えた時期は鎌倉時代ではなく南北朝時代の康永二年(1343年)です。
×家畜衛生保健所 ○家畜保健衛生所
×90年代中頃 ○0年代中頃
常にたくさんのカラスが棲みついている養豚場。
相変らず放し飼いの犬が寄ってきます。
里道の代替路を塞ぐようにおかれた車やドラム缶。ドラム缶の向こう側を回って、左の建物の向こうへ抜けると、里道が現れます。
通行を妨害するために立てられている立て看板。里道は養豚場の敷地ではなく奈良市または木津川市の所有する市道となっています。道を通行する限り敷地に入ることにはなりません。また里道隣接地所有者が里道の通行を妨げることは条例により禁じられています。
残念なことに養豚場による通行妨害がいっそうエスカレートしていました。
地滑りがあったのか多数の倒木がありました。
地滑りがあったのか多数の倒木がありました。
違法に通行を妨害する目的で立てられている立入り禁止の札。それほど立ち入りを制限したいのなら、道を塞ぐ形でフェンスでも張ればいいはずですが、道の部分を明確にあけています。これは法律上通行を妨げてはならないことを知りながら、紛らわしい表現で通行を断念させようという、悪質な通行妨害です。
さて浄瑠璃寺に着いた後、堀辰雄はこんなことも書いています。
阿弥陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい、十六七の、ジャケット姿の少女だった。
うすぐらい堂のなかにずらりと並んでいる金色こんじきの九体仏 を一わたり見てしまうと、こんどは一つ一つ丹念にそれを見はじめている僕をそこに残して、妻はその寺の娘とともに堂のそとに出て、陽あたりのいい縁さきで、裏庭の方かなんぞを眺めながら、こんな会話をしあっている。
「ずいぶん大きな柿の木ね。」妻の声がする。
「ほんまにええ柿の木やろ。」少女の返事はいかにも得意そうだ。
「何本あるのかしら? 一本、二本、三本……」
「みんなで七本だす。七本だすが、沢山に成りまっせ。九体寺の柿やいうてな、それを目あてに、人はんが大ぜいハイキングに来やはります。あてが一人で捥いで上げるのだすがなあ、そのときのせわしい事やったらおまへんなあ。」
「そうお。その時分、柿を食べにきたいわね。」
「ほんまに、秋にまたお出でなはれ。この頃は一番あきまへん。なあも無うて……」
「でも、いろんな花がさいていて。綺麗ね……」
「大ぜいハイキングに来やはります」人はんたちも、おそらく堀辰雄と同じく笠置街道を歩いたことでしょう。はてさて、柿の木はまだあるでしょうか?
浄瑠璃寺本堂受付前の柿の木。
浄瑠璃寺〜浄瑠璃寺奥の院〜般若寺〜フルコト
犬が苦手な人の為に、養豚場を通らないルートを考えてみました。浄瑠璃寺奥之院から尾根筋を登って、笠置街道に出るルートです。
00:07:00 浄瑠璃寺奥之院
00:19:40 笠置街道と合流
00:50:15 般若寺
01:20:10 フルコト
いかがだったでしょうか? 動画で見る弥勒の道〜笠置街道〜。次回は浄瑠璃寺から先を探検してみようと思います!
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