般若寺の文殊会式一切経転読法要を見学してきました。
時間が来ると11人のお坊さんが鐘を鳴らしながら本堂へ入ってこられました。
文殊菩薩のご縁日である25日にあわせて、ご本尊が文殊菩薩である般若寺でも、毎年4月25日、文殊
般若寺の文殊菩薩騎獅像は、昭和31年の調査により、胎内銘文が発見され、元亨4年(1324)3月7日、文観上人が後醍醐天皇の御願成就のため造立したものとわかりました(般若寺で配布している説明文より)。元弘元年(1331)に後醍醐天皇が起こした元弘の乱の、7年前にあたります。後醍醐天皇は、文殊様にいったい何を願ったのでしょうか。
般若寺は治承4年(1180)の南都焼き討ちで灰燼に帰しますが、鎌倉時代に復興が進み、十三重石塔が建てられたほか、西大寺の叡尊上人が巨大な文殊菩薩像を造立しました。若い副住職さん曰く、以来800年間、絶えることなく続けられてきたのが、今日のお会式とのことです。なお、叡尊上人が作られたお像は後に火災で焼失してしまい、現在残っている文殊菩薩騎獅像が作られることとなったようです。
文殊会式一切経転読法要は、本来一切経を全て読み上げるとても長い法要なのだそうですが、現在は残存する経典を文殊菩薩の前にお供えすることで、大幅に省略しているそうです。それでもたっぷり一時間、10人以上のお坊さんの、美しく重なり合う声が本堂の中を響き渡りました。
11人のお坊さんの声が重なり合うと、体の奥の方が揺さぶられるかんじがします。聞いているうち、心地よい気持ちになりました。ほぼ「あ〜」しか言わないのによく音程を合わせられるなあ、これを覚えるのはたいへんだろうなと思いました。あ〜しか言ってないわけないですが(笑)。
ご本尊の文殊菩薩騎獅像(重要文化財)を安置する般若寺本堂。
本堂前に甘茶が用意されていました。
お釈迦様にも甘茶。
清々しい風が楼門を吹き抜けて行きます。
この鉄柱は明治25年(1892)に笠塔婆を修理再建したときに使ったものだそうです。
重要文化財の笠塔婆。南都復興のため宋から招かれた石大工、伊行末の息子、伊行吉が父母の供養の為に造立したもので、父、行末の業績なども書かれています。日本最古にして最大の笠塔婆と言われています。
春なのにコスモス? 般若寺では春にコスモスを咲かせる取り組みをされているそうです。
般若寺前にある植村牧場のソフトクリーム。牛乳の味がしてオススメです。
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