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2015年3月27日(金)【動画】弥勒の辻(当尾岩船寺)〜狭川〜笠置【徒歩編】

  • いよいよ笠置へ! 途中から街道を離れて、石仏やお城の跡を探訪します。

  • (2015年5月7日(木) 午後11時0分17秒 更新)
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狭川には美しい田園風景が広がっていました。

狭川には美しい田園風景が広がっていました。

昔の道が消えかかっていたりして、地図で見るのと実際に歩くのとでは大違いでした

笠置街道(現在の県道33号線<笠置道>)の支線「中川越」にあたる道を通って狭川に降り、周辺の石仏などを見ながら笠置へ抜けました。当初笠置寺まで行く予定でしたが、写真を撮ったりしていたので、思いのほか時間がかかり、笠置山の登山口にたどりついた時点で既に日暮れ間近となってしまいました。相変らず無駄に長い上、だらだら独り言をつぶやいてますので、スライドバーを動かして興味あるところだけ見ていただければと思います。

00:00 弥勒の辻弥勒磨崖仏
11:48 大福寺地蔵
15:27 大畑墓地石仏群
17:35 狭川へ降りる里道
24:00 谷に降りたところで少し迷う
(事前に地図をチラ見しただけのぶっつけ本番でした…)
31:25 古い道への分岐
37:15 川沿いの道から五人切りへの分岐
(一人でブツブツ言ってるあやしいおっさんなので声をかけられる事案発生...orz)
41:43 奈良の福智院が元あった場所を見下ろす
46:15 五人切り磨崖碑
49:30 狭川両町墓地
53:30 光明寺
59:21 狭川東町 あたご坂地蔵
01:01:00 狭川天文七年十三重塔
(狭川氏の寺があったとか言っていますが、誤りです。福岡越前守藤原助宣と令室の供養塔で、福岡家代々の菩提寺であった吉水寺の塔だったそうです。)
01:03:30 子安地蔵
01:07:00 奥城戸小堂地蔵
01:08:17 猿との遭遇
(当尾にいる猿と違って強気な猿だったのでびびっています...。)
01:10:22 下狭川城跡 馬場跡
01:13:30 下狭川城跡 金剛院 狭川氏墓所
01:18:35 下狭川城跡
01:21:00 箱根山墓地
01:25:00 中墓寺
(右に一尊前に一尊左に三尊では六地蔵にならないですね..。)
01:32:45 清海坊地蔵
01:37:40 下狭川磨崖仏
01:41:00 下狭川下垣内八幡宮
01:46:31 下狭川下垣内墓地石仏群
01:56:10 山肌が崩れたところに出て不安になる(このルートは危ないです)
02:13:20 こうもり博物館
02:24:55 六阿弥陀仏(六地蔵じゃないそうです)
02:27:30 笠置山登山口

各ポイントの詳細は後続の記事をご覧下さい。

今回歩いたルート

"一等"里道のおもかげ

今回、大畑から西狭川へは、昔の一等里道をたどりました。谷へ下りる区間は倒木が多く、谷底の放棄された田んぼには笹薮が茂っていて、すっかり荒れていましたが、車道ができる前はこの道が主要道だったようです。動画でもかつての往来によって道が掘り窪められているのがわかります。一等里道のおもかげは今も残されていました。

明治22年に作成された西村実測図。

明治22年に作成された西村実測図。今回歩いた大畑から下るみちは赤丸の部分です。一等里道なので太い赤線で記されています。谷底に降りて小川を渡った先の道が薮に覆われていました。

明治41年測図の地図。

明治41年測図の地図。今回歩いた道が二重の線ではっきり描かれています。明治の頃は、現在ある安郷川沿いの道がなく、当尾から狭川へ最短ルートで下るには、この道を通るしかありませんでした。土木機械のなかった時代、渓谷には道が作られなかったようです。土砂崩れが頻発して道が寸断されやすく危険だったからでしょう。

消えかかった杣道

下垣内から古い杣道を歩いて白砂川に下りられるかと思ったのですが、途中小さながけ崩れの跡などがあり、また出口付近で道が薮に覆われる為、通行は難しいと感じました。

明治22年の下狭川村実測図

明治22年の下狭川村実測図。山中にたくさんの二等里道が描かれています。

明治41年測図の地図。

明治41年測図の地図では、今回歩いた道が二重の線で描かれています。それで歩きやすいだろうと思ったのですが、かなり荒れていました。

ということで、今回歩きにくかったところを避けた別コースを、後日自転車で走りました。自転車で通れたぐらいなので、歩きやすいと思います。ぜひ!

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