奈良と京都の県境となっている古道を実際に歩いてきました。中川寺跡では中川寺を探してみましたよ!
鎌倉時代の石仏です。すぐ脇から水がわき出しています。
記事作成当時から状況が変化した部分があるので、記事内容を変更しました。
養豚場から中川寺跡までの区間は道が荒れていて、歩きにくいところがいくつかあります。2015年12月現在は草刈りなど整備が進みましたので、かなり歩きやすくなりました。こちらの2015年12月の記事「シン・県境の道の歩き方」もお読みください。
明治の地図からおおよその場所にあたりをつけ、中川寺を探してみました。
実範上人のお墓と伝えられている五輪塔です。
県道33号線に面した中ノ川集落の入り口に地蔵石仏があります。
春日神、八幡神、伊勢神をお祀りする神社だと言われています。
立派な五輪塔があります。
梅谷三角点近くにある謎の石です。
尾根の上に牛塚石塔、伊勢参りの記念碑、少し下りた斜面に石龕仏があります。
奈良市緑ヶ丘浄水場の敷地に伊勢への道標が立っています。
花と石仏が美しい古刹です。
東大寺南大門と言えば、運慶快慶の仁王像が有名ですが、実はその裏側に日本最古の狛犬がいます。
今日は東鳴川の応現寺で木造不空羂索観音坐像を拝観してきました。毎月第1日曜日午前9時から午後4時まで無料公開されています。
中川寺跡と言われる谷を、中川寺の痕跡を探してうろうろしてきました。今回は谷の西側に谷底から尾根までまっすぐに伸びる大スロープをみつけました☆
県境の道を歩いたとき、明治の地図に載っている道に気づくことができなかったので、県道33号線側から歩いてみました。
今回は地形をメモしながら中川寺跡を探検しました。西側では見上げる子尾根の上に三段にわたって四角く整地された場所を発見。東側にも山の上の方に平坦地がまだありました。
養豚場や峠のぬかるみを迂回したいときに使えると思います。
浄瑠璃寺奥の院行場の滝にある岩には、瑠璃不動磨崖仏が彫られています。
浄瑠璃寺から麓へ下りる道路を少し下りたところの左手石垣の上にあります。
谷の奥深くにあり、お会いするのがたいへんな南北朝時代の仏様です。
当尾の中でも最も有名な、サンタイ阿弥陀三尊磨崖仏、通称「わらい仏」です。
弥勒の辻・弥勒磨崖仏は笠置寺の弥勒磨崖仏を模したものと言われています。
中ノ川から
東大寺法華堂前の石灯籠は、南宋から来朝した石大工伊行末の作と考えられています。
歩いていける範囲で「南山城の古寺巡礼」展に登場するお寺を巡ってきました。
涼み岩〜森八幡〜青地蔵〜赤地蔵〜大福寺〜弥勒の辻〜わらい仏〜唐臼の壷〜藪の中三尊〜浄瑠璃寺前〜長尾の阿弥陀〜焼け仏
9月10日は実範上人のご命日ということなので、御廟塔にお参りしてきました。
毎年10月16日午後3時ごろから15分ほど踊られる岩船の「おかげ踊り」を見てきました。
毎年11月3日(年によって前後の連休も)10時から16時まで旧燈明寺の寺宝が御霊神社脇の収蔵庫で無料公開されています。
ぐるっと一周回ってみました。この道も古くからある道です。
堀辰雄が「浄瑠璃寺の春」で歩いた道〜笠置街道〜をたどって、奈良東大寺南大門から般若寺を経て、浄瑠璃寺まで歩いてみました。
笠置街道を浄瑠璃寺から弥勒の辻まで歩き、そのあと近隣の石仏をめぐりました。
あまり知られていない室町時代中期のお地蔵様です。
車道から谷を挟んだところにいらっしゃる、堂々としてとても大きな石仏です。
試しに少し掘ってみましたが、木の根に阻まれ何の成果もありませんでした…。
浄瑠璃寺では大晦日の晩、一般参拝者に除夜の鐘をつかせてくれます。また年が明けると本堂で新年の法要が執り行われます。
© 弥勒の道プロジェクト
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!