奈良大学城郭研究会が須川氏の山麓居館推定地の南に土塁状地形があるのをみつけたとのことでしたので、見てきました。
「北坂ノ上」と呼ばれる尾根筋の北側の縁に土塁状地形がありました。
須川氏の山麓居館(須川本城)は、須川の興東小学校東側の集落のあたりだったと考えられています。その集落の南側にある尾根の上に土塁らしき地形があるというので、見てきました。尾根筋の少し小高くなったところに舟形五輪塔などが多数埋れており、そこは古い墓地の跡のようでした。そのあたりから尾根が切れ落ちるあたりにかけて、尾根筋の北の縁に土塁状の地形がありました。
また尾根の上には数段の平坦面があり、尾根の南西側に数段の平坦面が作られていました。
尾根の上にある古い墓地の跡。この辺りに寺院があった可能性もありそうです。
古い墓地の跡の北側にもわずかに高まりがありました。これも土塁の痕跡である可能性があります。
土塁状地形がある尾根を「北坂」あるいは「北坂ノ上」というのは、かつて存在したと伝わる「植垣内」という集落から見て「北」ということだろうと思います。墓地跡は、今は存在しない植垣内集落の墓地だったのかもしれません。
今は存在しない集落「植垣内」が小字として残っています。
ただ土塁状地形があるのが、尾根の須川本城推定地側ということで、須川本城の防御施設にしては不自然です。
興東小学校の西に「筒井」という小字があり、須川を攻めた筒井氏の陣城があったところとも考えられています。土塁状地形のある「北坂ノ上」についても、須川本城を攻める側の陣城だったということは考えられそうです。
土塁状地形と小字のおおよその位置。
写真は須川本城推定地から見た「北坂ノ上」。ここから攻められるとかなり厳しい戦いとなりそうです。
須川本城推定地と北坂ノ上の位置関係。
© 弥勒の道プロジェクト
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!