歯痛地蔵の銘文がわかりました。
「上手村久太郎」
中央の観音菩薩蔵右脇にライトを当ててみたところ、「上手村久太郎」と刻まれていました。造立日が書かれていることを期待したのですが、願主のお名前だったようです。「上手村」は田部神社のある下狭川町上垣内の集落と思われます。
今は崖の上となっている歯痛地蔵(三尊磨崖仏)。
左の薬師如来像の頭上に薬師如来を表す梵字「ベイ」。
中央の観音菩薩像の頭上に観音菩薩を表す梵字「サ」。
右の地蔵菩薩像の頭上に地蔵菩薩を表す梵字「カ」。
歯痛地蔵まで登って、そのまま右に抜けるとわりとしっかりした獣道があり、その道が古い道の跡につながっていました。古い道は歯痛地蔵近くで細くなり消えています。古い道の跡は崖の上にしばらく続いていました。歯痛地蔵が造立された当時は、歯痛地蔵のすぐ下に道があったと考えられます。明治以降に道を拡幅する際、岩を削って道の位置が掘り下げられ、歯痛地蔵は崖の上に取り残されたのでしょう。
歯痛地蔵さんの前を左から右に抜けそのあま右上に登ってみました。10センチほどの足場が見えます。ここを歩いてきました。
歯痛地蔵さんの右上には割としっかりした獣道があり、そこを少し進むと古い道の跡が現れました。
右上の斜面から降りてきました。古い道の跡は、歯痛地蔵さんの手前で崖になっています。
古い道の跡は崖の上にしばらく続いていました。昔は登ったり降りたりしながら進む道だったようです。
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