北東面に切岸と横堀がめぐらされていました。
東里村史の「城塁跡」に「今一つは城山(じょうやま)で、東北部に堀をめぐらしている。その頂上からの眺めは実に良い。」とあります(407頁)。当尾の大畑からくだってくる道の北側にある北村城の他に、北村戸隠神社東方の小山にも、北村には山城があったようです。
実際に訪れてみると、確かに山頂近くの北東面に切岸と横堀がめぐらされていました。ただ現地は荒れた竹林で、全く見通しが利かず、全体の構造はよくわかりませんでした。残念ながら、頂上からの眺めなど望むべくもない状態です。
南西面は天然の崖で、南面には平坦地が階段状に造成されていました。南面にある平坦地は、山城より後の時代に作られた屋敷や畑の跡のようにも見えました。投棄されたゴミである可能性はありますが、南面の平坦地付近には比較的新しい瓦や陶器が多数散らばっています。
山頂部の東側にある切岸と横堀。堀はほとんど埋まっていました。
山頂部の東側にある切岸と横堀。
山頂部の北東側にある切岸と横堀。
山中に落ちていた瓦。最近のゴミも落ちていたので、投棄されたものである可能性もあります。
北村実測全図(明治22年(1989))にも「城山」という地名が見えます。
現在の航空写真に、城山の位置を書き込みました。
GPSのログなどを参考に、こんな感じかなという縄張り図を作ってみました。適当なものですので、参考程度にしてください。
YAMAPではもう少し多くの写真を公開しています。
奈良市北村南城 / 弥勒の道プロジェクトさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
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