西狭川町の地蔵石仏です。
ジョーセン地蔵は、クサ地蔵とも呼ばれ、皮膚病を治すご利益があると伝わります。お堂の周囲には石造物が集められていました。しかしなぜか奈良市石造遺物調査報告書(1989)には、この場所にある石造物が全く記載されていません。
ちなみに、お堂の中の左右にかけられた扁額は、文久3(1863)年ごろに設定された「新西国三十三所」の扁額だそうです。「新西国三十三所」は、下狭川町,西狭川町,狭川東町,狭川両町, 北村町,南ノ庄町,須川町にある寺社や小堂を、本物の西国三十三箇所に見立てて巡礼地としたもので、この地域の各所に扁額が残されています。(島津俊之「奈良東山中「新西国三十三所」と村落間結合」1990年12月)
ジョーセン地蔵にある扁額はほとんど消えてしまっていますが、中墓寺にあるものは比較的保存状態が良いです。
お堂の中にジョーセン地蔵がお祭りされています。
お堂の脇に集められた石造物。
お堂の中の左右に扁額があります。
中墓寺にある薬師堂の扁額。こういったものがジョーセン地蔵の扁額にも描かれていたようです。
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