中墓寺の収蔵庫には平安時代の仏像が三体安置されています。
下狭川中墓寺の収蔵庫には平安期の仏像が三体収められています。半丈六の薬師如来坐像、定印の阿弥陀如来坐像、上品下生の阿弥陀如来坐像の三体です。これらの仏像は明治に廃された近隣の寺々にあったとされますが、元々は鳴川山善根寺や東小田原山隋願寺などから、これらの寺が衰退するに伴い、狭川に移されたものとも言われます。
中墓寺の平安仏が元は当尾や鳴川にあったする説には、それなりに説得力があります。というのも、狭川に石造物はたくさんありますが、室町時代より前の物は全くないからです。平安期から続く寺があったなら、鎌倉期の石造物もいくつかは残されてそうですが、狭川周辺にはそうした石造物は見当たりません。
現在中墓寺がある場所には、元は勝福寺という笠置寺の末寺がありました。しかし勝福寺は明治初年に廃され、その後、明治5年(1872)9月になって、下狭川の大念寺・西念寺の両寺を廃すと同時に、もとは勝福寺だった現在地に堂を修復したうえで、狭川東町にあった中墓寺がこの地に移されました。そうした経緯があったため、中墓寺の本尊は大念寺の阿弥陀如来立像と西念寺の阿弥陀如来坐像となっています。また中墓寺にある室町時代の石造物の多くは勝福寺ゆかりのものが多いと言います。宝篋印塔などは、大念寺から移されました。(「奈良市史・社寺編」713-714ページ)
中墓寺の拝観は事前予約が必要です。今回訪れたときは、たまたまご住職が庭先にいらっしゃって、少しの間見るくらいなら構わないと、快く収蔵庫を開けてくださいました。ご住職曰く、ポケットに入るくらいの小さな仏像を盗まれたことがあるので、拝観には必ず立ち会うことにしているとのことでした。拝観している間、ご住職は、お寺のことや地域のことなど、いろいろと興味深いお話をしてくださいました。思いがけず楽しいひと時を過ごすことができました。感謝いたします。
半丈六の薬師如来坐像(平安時代)
定印の阿弥陀如来坐像(平安時代)。像高88.2cm。
上品下生印の阿弥陀如来坐像(平安時代)。像高90.0cm。
ご住職によれば、この厨子は勝福寺ゆかりのものではないかとのこと。
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