実範上人御廟塔から、二ノ尾山墓地に登り、応現寺に立ち寄った後、みろくの辻まで歩きました。
二ノ尾山墓地
二ノ尾山墓地は東鳴川のお墓だそうです。集落は谷をはさんだ東側にあるのに、わざわざこの山の上にお墓があることが興味深いです。応現寺前にある古い層塔は、元は二ノ尾山墓地にあったものだそうで、岩船寺建立に関わりのある(?)智縁尼の供養塔だとも伝えられています(奈良県史 第七巻 石造美術 p292)。
二ノ尾山墓地の東にある谷には「光明院」など鳴川善根寺由来と思われる小字が残されており、鳴川善根寺の中心は現在応現寺があるあたりではなく、二ノ尾山墓地東の谷にあったようです。ということは、逆に言うと、この墓地がある場所は鳴川善根寺西側の峰の上、ということになり、中ノ川共同墓地と中川寺跡の位置関係によく似ています。
明治22年作成の鳴川村実測図。二ノ尾山東の谷に「石段」「十念佛」「地蔵堂」「堂ノ前」「南大門」などの小字が並びます。
別の和紙公図では「光明院」という小字も確認できます。右下黒い部分が二ノ尾山墓地。
途中無駄に山中さまよっています。奈良坂から応現寺へ行く場合は、前回の動画で実範上人御廟塔へ行く道に入らず、そのまままっすぐ車道に出て、赤田川沿いに遡るのがよいです。
https://www.youtube.com/watch?v=BeBnt9xnmf8
3:50 旧「浄瑠璃寺南口」バス停
5:45 二ノ尾山墓地への登り口
11:05 二ノ尾山墓地
14:10 尾根筋の道へ突入する
18:00 里道にぶつかる
26:35 薮に行く手を阻まれる
31:30 赤田川を渡る
35:35 なぞの石垣を見に行く
41:15 応現寺
二ノ尾山墓地。迎え地蔵ではなく六字名号碑(室町時代)が置かれていました。
二ノ尾山墓地入口にある江戸時代の六地蔵尊。
二ノ尾山墓地
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