ぐるっと一周回ってみました。この道も古くからある道です。
中ノ川から芳山を登って、地獄谷に下り、鶯の滝を経て、中ノ川へ戻ってきました。11キロほどでした。案外短かったです。昔の人なら、平気で日常的に歩いたことでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=XoLLKzPzbK0
動画で見る全行程(ノーカット版)
5:20 梵字のある岩
21:28 鹿害対策の柵にある扉を開けて芳山に向かう
31:45 芳山二尊石仏へ下りる扉
33:30 芳山二尊石仏
38:35 芳山山頂
43:10 芳山南峰山頂
1:04:10 地獄谷石窟仏
1:14:15 首切地蔵
1:19:10 春日山石窟仏
1:36:20 鶯の滝
1:44:20 興福寺別院歓喜天
1:50:10 鶯の滝と中ノ川の間にある扉
キリークという阿弥陀様を意味する梵字だそうです。梵字のある面は、ほぼ正確に北を向いています。この付近には石を切り出した跡がいたるところにあります。
この梵字以外何も彫られていません。
奈良時代後期の石仏と言われています。三角柱状の岩の二面に仏様が彫られています。
周りを石垣で囲われており、付近には瓦が落ちています。
奈良時代後期の作。おそらく石を切り出してできた洞穴に、仏を刻んだものでしょう。聖(ひじり)が住んでいたという伝承があり、聖人窟とも呼ばれたそうです。
鮮やかな色が残っています。この彩色も奈良時代後期のものなのでしょうか?
平安時代の石窟仏です。線彫りではなく立体的に彫られています。
左側の仏様。
右側の仏様
動画では広角なので小さく見えますが、実際にはもう少し迫力がある滝です。
谷中に滝の音が響いていました。
こちらのブログ記事「jp3pzd's photo diary:興福寺別院歓喜天の建物が撤去 - livedoor Blog(ブログ)」によると、2010年に建物の屋根が崩れて、その後建物が撤去されたようです。動画では「台風で」と言ってしまった気がしますが、何で崩れたのか少し検索しただけでは確認できませんでした。
歓喜天にある鐘楼。前回来たときにはなかった気がする梵鐘が設置されています。こちらのブログ記事「奈良の寺社: 興福寺別院「歓禅院」」によると、ここにあった梵鐘は国宝に指定されていて、興福寺が保管しているとのことですから、この梵鐘はそれとは別物だと思います。
大正7年(1918)に作成された「奈良市街全圖:實地踏測」には、鶯の滝から中ノ川への道もしっかり描かれています。当時は主要道と見なされていたんですね。驚きです。
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