立派な五輪塔があります。
塚の中央に五輪塔があり、その回りを埋め墓(仮墓)が囲んでいます。
こちらの記事「大和中川寺多宝塔」に「『中世大和の葬送と墓制』狭川真一(奈良県立同和問題関係史料センター「研究紀要」第16号、平成23年 所収)」を引用して次のように書かれていました。
墓制は中世には、中ノ川などの大和の山間部では集落単位での納骨が行われる ようになる。即ち大和の山間部では埋め墓の中央に大きな五輪塔があり、その回りに木製の卒塔婆や石製塔婆が立ち並ぶと云うような墓制に変化する。 この墓制は全国的に近世初頭に現在のような石墓を建てる墓制に変っていくが、大和では、五輪塔を中心とした墓地は現在も墓地として使われ続けられている現象がある。
この共同墓地は、中川寺のあった谷の、西側の尾根の上にあります。この近隣の当尾の場合、共同墓地はたいてい、集落からやや離れた支尾根の突端に作られています。主尾根の途中にあるこの墓地は、この近隣では少しめずらしい位置に作られている気がします。ここに共同墓地があるのは、中川寺の真上だったから、なのかもしれません。中川寺から見て西にあたるということで、西方極楽浄土を意識している可能性もあるでしょう。
中央に立派な五輪塔があります。
古い墓石や石碑が土止めの石積みとして再利用されています。この中には、中川寺から運び出されたものもあるかもしれません。
中央の埋め墓を囲う土止めの石積みに古い墓石などが再利用されています。
五輪塔から少し南の墓地入り口には六地蔵がありました。
写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら。
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