鎌倉時代の石仏です。すぐ脇から水がわき出しています。
お地蔵様の右下にあるパイプからわき水が流れ落ちているのが見えるでしょうか。
鎌倉時代、赤門と呼ばれた浄瑠璃寺南大門がこのあたりにありました。そのそばにあった地蔵堂に祀られていたのがこのお地蔵様です。康永二年(1343年)、この南大門から火災が起こり、浄瑠璃寺の多くの建物が焼け落ちてしまいます。このとき地蔵堂も焼け落ち、中にあった地蔵石仏のみこの地に残りました。
水呑み地蔵の傍らからは、今も涸れることなく、いつも水が涌き出ています。江戸時代初期の剣客、荒木又右衛門がここで休み水を飲み、それから水呑み地蔵と呼ばれるようになった、とも伝えられるわき水です。
この明治時代の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。明治時代の地図を見ると、浄瑠璃寺から奈良へ向かう道が、水呑地蔵の前を通り、そのまま、水呑地蔵のわき水が流れる谷沿いに、赤田川上流へ下りていることがわかります(上地図の赤い線)。昔は水呑地蔵へ向かう道が本道だったんですね。その後土砂崩れがあって、現在の道(上地図の緑色の線)に道が付け替えられたそうです。
水呑み地蔵の案内板。
草をかき分けると、誰かがパイプを設置して水を汲み取りやすくしてくださっているのをみつけることができます。
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