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2022年12月15日(木)当尾から狭川に降る道

  • 当尾と狭川を最短距離で結ぶ古道を歩いてきました。

  • (2022年12月19日(月) 午前0時9分55秒 更新)
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ここから狭川へ降っていきます。

田畑の放棄とともに荒れゆく古道

大畑から狭川へくだる道には、「大坂」という古い地名があります。何百年と人や馬がこの道を歩いたためでしょう。道は深く掘りくぼめられています。

倒木が多くすっかり荒れていますが、深いくぼみが長い年月ここが道だったことを教えてくれます。

はっきりと道の痕跡が残っています。

もうすぐ谷底です。

尾根の裾を巻いて下まで降りてきました。

放棄田の笹藪

谷底にたどり着くと、笹藪と化した放棄田を突っ切らなければなりません。イノシシかシカがこじ開けた獣道に飛び込んで、藪を漕ぎ漕ぎなんとか向こう側へ渡りました。

小川の向こうに、獣道が見えます。ここから藪をかき分けて進みました。意外にもほぼ元の道に沿って獣道があるようでした。

ここから出てきました。

谷の東側にある道はコンクリート敷ですが、道の左右から笹が覆いかぶさり、どこが道だかわからないようなところもありました。5、6年前は、コンクリート敷の道は普通に歩けたように思います。少なくともここまで荒れていませんでした。

左の林は大畑から降りてくる尾根の突端で、そこから谷を渡って右の山裾まで藪漕ぎしたわけです。

安郷川へ下りる道

放棄田の谷から先は、山水に道が削られたりしていますが、道の跡はしっかり残っています。

ここから安郷川へ降っていきます。

この辺りは道が山水にえぐられています。

長い間通る人がいない割には、道が残っています。

右の藪を突っ切って降りてきました。藪になっているのは出口付近だけです。

添上郡西(狭川)村実測全図(明治22年/1989年)

明治22年に作成された西狭川村実測全図に「大坂」という地名が記載されています。今回歩いた道の周囲には「道ノ前」といった道に因んだ地名があり、長くこの道が主要な道だったことを窺わせます。明治に作成された旧東里村各村の実測全図は、奈良市東部出張所で複製を閲覧・撮影できます(要閲覧手数料)。

航空写真で見る古道

1975年に撮影された航空写真では、上空からも道がはっきりと見えています。

2021年に撮影された航空写真では、上空から見ても道の位置が全くわかりません。

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