今年も実範上人のご命日である9月10日に、奈良市中ノ川町にある実範上人御廟塔前で、各寺院によるご命日の法要が営まれました。
浄瑠璃寺・岩船寺によるご命日の法要。
実範上人のご命日ということで、おそらく9時ごろに興福寺さんが、10時ごろからは浄瑠璃寺さん岩船寺さんが、中ノ川町の実範上人御廟塔の前で法要を営まれました。下動画は浄瑠璃寺さんと岩船寺さんによる法要です。今年は浄瑠璃寺さんが焼香台を用意してくださいました。
https://www.youtube.com/watch?v=OQ23JO-bXjk
浄瑠璃寺と岩船寺のお坊さんが最初に唱えられているのが、南山進流の声明です。浄瑠璃寺のご住職曰く「通常墓前では声明はあまり唱えませんが、実範上人のご命日法要ということで、一つだけ声明をあげさせていただきました」とのことでした。
実範上人が開いた中川寺の声明は、実範上人の弟子で声明に優れていた宗観(大進上人)にちなみ、大進上人流、略して「進流」と呼ばれました。その後13世紀に高野山三宝院住職により進流声明の本拠地が高野山(南山)に移されます。南山進流声明は中川寺が発祥の地だったわけです。それで、墓前ではあまり唱えられることのない声明が、実範上人ご命日の法要では、唱えられるということなのでした。歴史の巡り合わせを感じます。
ちなみに、浄瑠璃寺のお堂で営まれる法要では、声明がほぼ必ず入るということです。唱え終わったらシンバルのような鳴り物(妙鉢)を鳴らすのが声明なので、妙鉢が鳴るかどうかで、声明かどうかがわかるそうです。ただ、時間を短縮するために、妙鉢を鳴らして唱えない場合もあるのだとか。法要で用いられる鳴り物にもそれぞれにいろいろな役割があるようです。
導師は浄瑠璃寺の佐伯ご住職が勤められました。手前のお二人は岩船寺の海宥副住職と宥善執事。
蒸し暑い中、中川寺跡のある谷にお経が響きました。
今回別の用事があり来られなかった般若寺の顕任副住職が、昨日のうちに、8年ぐらい置かれてあちこち壊れていた供物台を、同じくお手製の新しいものに取り替えてくださいました。ちょっと可愛らしくて緑に囲まれた御廟塔によく合っています。前のも野ざらしなのによく長持ちしたと思います。お鈴棒をぶら下げるところに屋根が取り付けられていました。前に写真で見せてもらったときにはなかったので、急遽作ってくださったみたいです。般若寺さんのいろんなものは顕任副住職の手作りだったりするんですが、さすがの気配りです。
いつもの年は浄瑠璃寺さんはカバー付きの草履でお参りされるのですが、今年は御廟塔周辺でもヤマビルを見かけたので、浄瑠璃寺さんにも長靴をお勧めしたのでした。写真は塩をかけられて吸った血を吐き出す、擦った血で巨大化したヤマビル。雨続きのせいか御廟塔周辺にヤマビルが異常発生中です。どうぞご注意を。
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!