笠置寺の前のご住職からいろいろとお話を伺いました。
笠置寺弥勒石
笠置寺の受付におられた笠置寺の前のご住職、小林慶範師に、いろいろとお話伺うことができました。たいへん興味深いお話でしたので、備忘録として書き記しておきます。録音やメモはないため、私の聞き間違いや、記憶違いにより、不正確なところが多々があるかと思います。ご注意ください。
小林慶範師は、もうじき90歳になるから、自分が覚えていることや伝え聞いたことを書き残さないといけない、昔は口伝だったが書き残すことが大事だとおっしゃって、生きているうちに残すべきものを残さなければと熱い思いを抱いておられるようでした。とは言え声に張りがありまだまだお元気でいらっしゃいます。
千手滝には清水寺の千手観音が姿を現したという伝承がある。それで笠置寺の東の谷を観音谷という。子どもの頃千手滝で滝登りをして遊んだことがある。それくらい当時も水量はなかった。落ち口が50センチぐらいだが、それが岩の上を滑り落ちるように流れて、最後は幅が2、3メートルになった。今は、東山の向こうにゴルフ場ができて、水がそちら側に流れているので、水量がほとんどない。
笠置山史談会「史蹟勝地笠置山」(昭和5)笠置山史跡略図から千手滝付近を抜粋。
大倉笠陰「笠置山独案内」(明治19)12頁。
昔は木が今ほど茂っていなかったから、虚空蔵菩薩のあたりから、谷向こうの千手滝がよく見えた。冬は滝が白く凍っているのが見えた。今は、木を切りたくても、国からいろいろ規制がかかっていて切ることができない。かつては一帯が笠置寺の寺領だったが今は個人所有になっているため、勝手に道を作るわけにもいかない。
観音谷周辺の位置関係。
昔は舎利殿のあたりから谷底へ降りる道があった。その道は木津川まで続いていた。しかし国鉄が線路に柵をして塞いでしまった。線路沿いに東海自然歩道もあることだから、歩く人もいると思うのだが、万が一にも事故があると困るということだった。他にも通れなくなったり忘れられた道はたくさんある。
地理院地図。
柳生から笠置の飛鳥路まで、昔、柳生の殿様が江戸に出るのに通った殿様街道と呼ばれる道がある。かつてはこの辺りの小学生は、殿様街道を通って柳生に行くのが、遠足の定番だった。殿様街道をハイキングコースとして整備した時は山の持ち主も賛成していた。
(柳生沿線探勝路遊歩道の飛鳥路コースが、殿様街道と考えられています。現在は途中にゴルフ場があり、迂回路が作られていますが、道がかなり荒れています。)
ところが途中に水場まで作ったところ、そうするとそこで火を使う奴が出てきた。ひどい時には年に数回も山火事があった。それで山の持ち主もあまり人を通したくないということになった。今はゴルフ場ができたし、下の方が崩れて通れないと聞いた。
殿様街道の飛鳥路へ下る坂道は「泣き坂」という。柳生のお姫様が、江戸へ向かう時、いよいよここを下ると故郷を離れるということで泣いたから「泣き坂」。そうして名前がある道でも消えていく。山中にはいろいろな史跡や文化財があるのに、行けなくなっている。
ある大学教授が言っていた。「全国あちこちに水かけ不動や砂かけ地蔵はある。しかし笠置にだけ石あて地蔵がある」と。自分も子どもの頃は、大神田にメダカを取りに行く時など、石を当てるものだと思っていたから、石あて地蔵に必ず石を当てていた。
それが道路拡幅でザーッと石をのけてみたら、石の下には台座しかなかった。その後は現地に看板も何もないから、石あて地蔵のことを知っている者もほとんどいなくなった。石あて地蔵の言われを書いた看板を立ててくれても良さそうに思う。
上人井戸は舎利殿から墓地道を少し降ったところにある。確か後醍醐天皇630年忌事業として、当時は水道が山の上まで来ていなかったので、上人井戸を防火水槽にした。井戸から湧いた水をコンクリートのタンクに貯めるもの。今でもポンプ室が残っている。
今は山の上にも水道が来ているので、上人井戸の水は使っていない。元々上人井戸の水は、谷の方にある田んぼに引いていた。
上人井戸のポンプ室。
扉が開いていたので中を覗くと電動ポンプがありました。
墓地道は危ないので行けない。通りたいという人には7月の第四日曜に、地域で墓地道の清掃と道づくりをするから、その時に来ると良いと伝えている。その時は綺麗な道になるが、その後は猪が道を掘り返している。猪のために道を作っているようなものだ。
墓地道の地蔵磨崖仏
墓地道の地蔵磨崖仏。この裏の谷側にも地蔵磨崖仏があります。
貞慶上人は般若台に住んでいたわけではない。今の上人墓の近くにあった観音堂に住んでいた。そこから日々谷越しに弥勒像を眺めていた。死後も同じように弥勒像を眺められるよう、あの場所に上人墓がある。それが今では樹木で何も見えない。樹木の高さを低くするのも許可してもらえない。
東山にある貞慶上人のお墓。
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!