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2022年3月8日(火)旧柳生街道探検

  • 旧柳生街道本道と思われるルートを実際に歩いてみました。

  • (2022年3月12日(土) 午前3時44分19秒 更新)
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滝坂の道のような石畳の道

旧柳生街道、太田古朴説

太田古朴「石仏柳生街道」綜芸舎, 1968の3ページ目に、次のように書かれています。

さて、柳生路、奈良道と言うが、それがどこを通り、どれからどこまでをいうのか定説がなかった。本書では、興福寺を起点として、春日大社、滝坂、石切峠、誓多林、忍辱山、大柳生、柳生を経過して、笠置寺に達するまでの街道を「旧柳生街道」と呼ぶ。しかし忍辱山円成寺の南辺には三筋の道路があり、最短路線を中央道、円成寺墓地を通るのを北道、柳生から奈良へは少々遠回りになるが坂道のない誓多林を通る道を南道という。

太田古朴氏は、上出阿弥陀磨崖仏が「旧柳生街道」の道標の役割も果たしていたとして、上出阿弥陀磨崖仏の存在により、上出阿弥陀磨崖仏の前の道が「旧柳生街道」と特定できたとしました。

ただ、太田古朴氏は、上出阿弥陀磨崖仏の南、白砂川の上流500mほどのところに現在存在している橋を渡るルートが、旧柳生街道だと考えていたようです。しかしながら明治時代の地図を見ると、明治時代にはまだこの橋は存在していませんでした。一方で、上出阿弥陀磨崖仏の前に、現在は存在しない橋があったようです。したがって、上出阿弥陀磨崖仏の前にかつてあった橋を渡るルートの方が、旧柳生街道の本道だったと考えられます。

上出阿弥陀磨崖仏の南、白砂川の上流500mほどのところにある橋が描かれていません。一方、上出阿弥陀磨崖仏の前に、現在は存在しない橋が描かれています。

こちらは昭和24年(1949)に製図された忍辱山町の地図です。ただ製図当時の現地と整合しないため、明治期に作られた地図を写したものである可能性が高いように思います。

この地図でははっきりと、上出阿弥陀磨崖仏の前に橋が描かれています。一方、現在存在している白砂川上流の橋はなく、上出阿弥陀磨崖仏から南の白砂川東岸には道が続いてません。

2〜3mの幅があり、小川と接するところには石畳も

今回実際に、太田古朴氏の言う「中央道」を歩いて、そこがどんな道なのか体感してきました。

太田古朴氏のいう「北道」である東海自然歩道から離れ、尾根を斜めに降りていくと、放棄田の谷に出ました。そして谷の北側を東に少し進み、その谷が別の谷と合わさるあたりで、谷の南側に渡ると、谷の南側の山林には、幅2〜3mほどの道がずっと続いていました。

ここから東海自然歩道を離れ、右の道を歩きました。

荒れてはいるものの、道幅が広く、道は明瞭でした。

しかし谷への出口が笹藪に覆われていました。

笹藪をかき分けると、放棄田沿いの道に出ました。放棄田沿いの道は草刈りされていました。林業か何かで道を使う必要があり、草刈りをされたものと思います。もし草刈りされていないと、なかなかハードな藪漕ぎが必要となりそうです。

谷底は放棄田が連なっていました。

ここを谷の向こう(南側)に渡ると道があります。

小川を渡ります。

谷の南側には幅2-3mの道がずっと続いていました。

途中、谷が狭まり道と小川が接するところには、大きな石で石畳が作られていました。ちょうど滝坂の道とよく似た石畳です。石畳があることは、この道が旧柳生街道本道であったことを示していると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=hTzR9PpsbSI

その後、農道に出ますが、そこからは整備された歩きやすい道でした。その農道を東へ歩いていくとやがて谷が狭まり、谷底には川が流れるばかりとなりました。そのあたりで、農道から古い道が分岐していました。倒木が多く荒れてはいるものの、その古い道も、やはり2〜3mほどの幅が保たれていました。

古い道は尾根の南側を巻いて、尾根の反対側(東側)に出られるようになっており、尾根の反対側には、上出阿弥陀磨崖仏へ下る道の分岐がありました。その分岐のあるあたりには、棚田の跡が広がっていて、分岐から少し下ったところに石がたくさん散らばった平坦地もありました。石が多いということはそこが田畑だったとはあまり思われせん。かつてはそこに人家があった可能性もあります。また、分岐があるあたりは、柳生側から来た場合、ちょうど登り坂を上り切った場所に当たります。あるいはその平坦地のあたりで茶店が営まれていたかもしれません。

国土地理院の1970年代の上出阿弥陀磨崖仏付近の航空写真。旧柳生街道が山から下るあたりに棚田のような草地が写っています。

上り下りを避けて、尾根を巻いていく道。

途中に、普通ではない石が落ちていたのでひっくり返してみました。この写真はすでにひっくり返した後です。最初は尖った方を右にしてうつ伏せ状態で倒れていました。ひっくり返して、なんとか道の端に寄せようとしたのですが、重すぎてこれ以上動かすのを断念しました。

怪しい石の正体は圭頭状二十三夜供養碑でした。圭頭部に勢至菩薩を意味する「サク」を刻み、中央に「奉供養廿三夜二世安楽」、右に「正徳三???」、左に「十一月廿三日 ???」とあります。

奈良市東部では十九夜供養碑はたくさん見るのですが、二十三夜供養碑はむしろ珍しいです。初めて見ました。奈良市東部としては貴重な例かもしれません。

しかし奈良市石造遺物調査報告書には載っていなかったです。ただ、供養碑の下敷きになっていた落ち葉がまだ形を保っていたので、この供養碑がうつ伏せに倒れたのはそれほど前ではないと思います。道端に立てられていたものが、割と最近倒れたものではないでしょうか。

右側の道を歩いてきました。左側の下っていく道が、上出阿弥陀磨崖仏へ至る道です。本当は、この数十メートル手前(写真では奥)にも下る道があり、その道はこの写真左側の道とすぐ下で合流するようなのですが、藪に覆われていてどこがその道なのかよくわかりませんでした。

東海自然歩道から分かれ、尾根を斜めに降って谷底に出てから、上出阿弥陀磨崖仏への分岐まで、道は谷に沿って緩やかに降るだけで、ほとんど起伏がなく、ぐねぐねと曲がるところもありませんでした。こちらの道の方が、「北道」すなわち東海自然歩道よりも起伏がなく、経路としても最短で、旧笠置街道の本道にふさわしいように感じました。

そこから先、上出阿弥陀磨崖仏へ下る道は、幅が3mほどもある山道で、長い年月人や牛馬が歩いたからでしょうか、堀のように道が深く窪んでいました。一箇所地滑りにより谷筋で道が寸断されていましたが、谷筋の向こう側に渡る獣道があり、さほど危険はありませんでした。

荒れていますが、幅が3mはあり、かつては立派な道だったとわかります。

途中の谷筋に地滑りがあったようで、道が寸断されていました。手前側を少し下ると、特に危険なく向こう側に渡れました。

ほぼ下り切ったところ。

山林の出口付近に、何やら遊び場が作られていました。ここからは白砂川の西側にコンクリート敷の農道が下流(北)の橋まで続いていました。

川の向こうに上出阿弥陀磨崖仏

山を下るとその先は、笹藪と化した放棄田でした。しかし誰かが草刈りして道のようなものが作られていました。そこを少し入っていくと、水路のようなところに降りていきました。その地面には石畳のように石が散らばっていました。もしかすると、そこは水路ではなく、そここそが旧柳生街道だったかもしれません。篠竹をかき分け、白砂川の川べりまで辿り着くと、篠竹越しに、対岸にある上出阿弥陀磨崖仏が正面に見えました。かつてはここに橋があり、川を渡れたのだろうと思います。上出阿弥陀磨崖仏は橋のたもとにあって、旧柳生街道を行く旅人を見守っていたことでしょう。

農道から、川べりまではまたもや笹藪です。

なぜか草刈りして道が作られていたので、そこを少し進むと水路のようなところに出ました。地面には石が散らばっていました。石畳のようにも見えます。

水路のような道を川べりまで出ると、笹藪の向こう、白砂川の対岸真正面に、上出阿弥陀磨崖仏が見えました。

川越しに見る上出阿弥陀磨崖仏。

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