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2018年6月7日(木)高田寺

高田寺本尊・薬師如来坐像(平安後期・重要文化財)。

台座裏に和歌の墨書が発見された薬師如来坐像

高田寺には平安時代後期のたいへん美しい等身大の薬師如来坐像があります。1973年の調査で台座の裏側に、「保安(1120-1124)」の年号と和歌の墨書がみつかり、専門家の間でも話題を呼んだといいます。

参考)猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究294号(1974-12-20)

端正な顔立ちの薬師如来坐像。高田寺の大角秀寛住職によれば、後頭部内に「南無阿弥陀仏」の墨書があり、薬師如来ではあるけれども、庶民にとっては阿弥陀様でよいということで、普段は「南無阿弥陀仏」と拝んでいたのではないかとのことでした。

墨書があった台座裏について説明するご住職。

元白髭神社の狛犬。目が大きくユーモラスな造形です。ご住職によれば、高田寺は元々は現在地になく、やや北の白髭神社(関西本線の少し南)に隣接する位置にあり、高田寺の住職が白髭神社の宮司を兼ねていたことが伺える記録があるとのこと。その位置関係は「五海道其外延絵図 加太越奈良道見取絵図 第2巻(1806)」にも描かれており、拡大してよく見ると鳥居のある神社らしき建物と寺院らしき建物が、街道北側のやや奥まった場所で南北に並んでいます。

元白髭神社の狛犬。ご住職は、高田寺には十二神将など仏様を守護するお像がないが、代わりに狛犬が仏様を守ってくださっているのだと思う、とおっしゃっていました。

薬師如来坐像台座裏の墨書(上段/下段はわかりやすく文字を書いたもの)。「五月やみくらはし山のほとゝぎすおほつかなくもなきわたるかな」と散らし書きされています。これは拾遺和歌集第二 夏に収められている藤原実方朝臣の和歌だといいます(高田寺のパンフレット・猪川和子「京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌」美術研究 294号(1974-12-20))。台座裏には年号や和歌など文字の他に、人物の横顔らしき落書きも描かれているそうです。

夜遊び地蔵

高田寺の境内には、「夜遊び地蔵」と呼ばれる石仏があります。名前の由来については、その昔、若者組の数人が夜のうちにこの石仏を担ぎ出し、村長さんの玄関先に据え置いて、休みをもらえないなら石仏をどかさないぞと交渉したから、夜のうちに移動するので「夜遊び地蔵」と呼ばれるようになった、というような話が伝えられています。

ただ他にも、若者組が求めた休みとは、実は伊勢の遊郭を目当てにした伊勢参りのことで、まだ早いと参加を許さなかった家の玄関先に若者組が嫌がらせで石仏を据え置き、息子の参加を許すよう求めた、という話も聞いたことがあります。二重の意味で「夜遊び地蔵」というわけです。

いずれにしてもお鼻が欠けているのは、実際しばしば担ぎ出されたからでしょうか。

優しいお顔立ちの夜遊び地蔵。

Map.

高田寺:本堂拝観料300円

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