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2018年2月11日(日)浄瑠璃寺鎮守の行方

  • 浄瑠璃寺境内にあった鎮守はどこへ行ったのでしょうか。

  • (2018年2月11日(日) 午後10時6分53秒 更新)
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拾遺都名所図会(天明7年/1787)にある浄瑠璃寺図会には鎮守が描かれています。

浄瑠璃寺境内にある鎮守跡

浄瑠璃寺本堂の南、池の南西角に、浄瑠璃寺鎮守跡がのこっています。拾遺都名所図会などによれば、岩船寺や隋願寺と同じく、ここには春日神社と白山神社が鎮守として祀られていたようです。岩船寺の鎮守は、明治にお寺とは分離されたものの、岩船寺山門手前から、右手の階段を登ったところに今もあって、白山神社社殿は重要文化財に指定されています。ところが浄瑠璃寺では、境内に隣接する場所に神社が見当たりません。そこで、浄瑠璃寺の佐伯ご住職に、浄瑠璃寺鎮守の行方を伺ったところ、西小地区の鎮守となっている春日神社がそうだろうと教えていただきました。

西小春日神社

浄瑠璃寺からバス道を西へ少し下り、浄瑠璃寺奥の院へ向かう山道との分岐で、奥の院へ行くのとは逆の、北へ入る小道を進むと、西小春日神社があります。社殿傍の碑文によれば、現在の社殿は平成7年に新築されたもののようです。

西小春日神社への分岐。

西小春日神社への道。

西小春日神社新築記念碑。

石灯籠に残る白山神社の名残

浄瑠璃寺の鎮守は春日神社と白山神社でしたから、西小春日神社に春日神社社殿しかないことが気になりますが、社殿の前に並べられた石灯籠には、春日神社だけでなく白山神社の名前も刻まれていました。ここに鎮守が移された当初は、春日神社と白山神社の社殿が並んで建っていたのかもしれません。

社殿下左側に「春日社」。

社殿下右側に「白山社」。

春日神社と書かれた石灯籠の側面に「天保十四卯年十一月吉日」(1843)。

白山神社と書かれた石灯籠の側面に「天保十四卯年十一月吉日」(1843)。

石段の上にある灯籠にも白山神社の存在を伺わせる文字が見られました。

石段上左側の石灯籠。内側の石灯籠には特に銘文が見当たりませんでしたが、春日神社の神鹿が彫られたよく見る形の春日灯籠です。

石段上右側の石灯籠。外側の灯篭に銘文は見当たりませんでした。

石段上右端の石灯籠には「元文?年/春日社」(元文年間=1736〜41)と書かれていました。

石段上右、内側の石灯籠。「春日大明神/白山大権現」と書かれています。また側面に「宝暦十三年五月吉日」(1763)の銘があります。「白山大権現」が左側にあるのは、岩船寺の鎮守だった白山神社・春日神社と同じ配置ですが、拾遺都名所図会で描かれている配置とは逆なのが気になります。

西小春日神社社殿の左奥には、小さな祠がありました。祠の中にはただの石ころとしか思えないものが祀られています。基壇に使われていた石など、白山神社の何らかの遺物でしょうか。白山神社は、寛永二年(1625)に編まれた浄瑠璃寺縁起の時点で、社殿が傾いていたことが書かれています。もしその後もそのまま再建されなかったすると、ここへ移されるときにはもう朽ちてボロボロだった可能性が高いです。あるいは移設は断念されたかもしれません。

社殿左奥にある祠。白山神社の名残りでしょうか?

Map.

浄瑠璃寺鎮守が移された西小春日神社。

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