北山十八間戸で忍性菩薩御生誕800年記念法要が修されました。
散華する僧侶の皆さん。
忍性上人は鎌倉時代に活躍した律僧で、健保5年(1217) 7月16日にお生まれになったそうです。つまり2017年7月16日は、ちょうど御生誕800年にあたります。それを記念して、忍性上人とゆかりの深い北山十八間戸にて、法要が営まれました。北山十八間戸は、忍性上人が不治患者救済のため設けた宿舎で、当初は般若寺の北東にありましたが、江戸時代初期に焼けてしまい、現在地に移されたといいます。「忍性菩薩御生誕800年記念サイト」にくわしい解説がありますので、ぜひ読んでみてください。
下動画(約2分半)は当日の様子です。
https://www.youtube.com/watch?v=dWly1hvX52Y
こちらは約30分の長い動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=dvUGkCIS4_c
今回の法要、お坊さん方の法衣の色が違っていたのに気づかれましたでしょうか。実は今回、真言律宗からだけでなく、忍性菩薩の生まれ故郷、奈良県三宅町屏風の浄土宗浄土寺からも、お坊さんが出仕されていたそうです。浄土寺のお坊さん曰く、散華の蒔き方など作法が違って少し戸惑ったとのこと。
浄土寺では現在、鎌倉極楽寺の忍性菩薩坐像の模刻を作成しておられ、今年開眼法要が予定されています。黒い法衣に茶色い袈裟の方が浄土寺のお坊さんです。お辞儀の仕方も、各宗派で違うのがとても興味深かったです。
黒い法衣に紫の袈裟の方は、高野山三宝院のお坊さんです。1232年ごろ、高野山三宝院の正等房勝心住職が、中川寺を本拠としていた進流声明を高野山に移しました。そこで、ここ10年ほど、高野山三宝院としても、年一回は中川寺を開いた実範上人の御廟塔で法要を営まれていたそうです。般若寺さんも実範上人のご命日に法要をされているので、そのご縁で今回ぜひ参加したいと申し出てくださったとお聞きしました。
真言律宗も南山進流声明なので、高野山三宝院のお坊さんはあまり違和感なくお経を唱えておられたように見えました。中川寺で生まれた声明が、どういう歴史のいたずらか、結果的に中川寺近くの浄瑠璃寺、岩船寺、般若寺に受け継がれ、その後本拠となった高野山とこうして出会うというのはたいへん面白いです。
また今回は、暑い中にもかかわらず、120人以上の人が参列したそうです。
忍性菩薩御生誕800年記念法要無事に終える事が出来ました。暑い中にも関わらず総勢120人を超える方々が御参拝に来られした。(用意した資料の残数から)発案当初は一人でも拝もう決めていて「5人くらい参拝者がいたら良いや」という思いでした。続— 忍性菩薩御生誕800年記念 (@ninshoseitan800) 2017年7月16日
進めていくに連れ協力してくれる人も出て広報においても多くの新聞記者さんが興味を持ってくださり記事にしてくださいました。足らないものを奉納してくださったりと、気づけば関わった人皆様が作り上げていた法要でした。忍性さんも自分一人だけの力では無く沢山の協力者がいて多大な功績を残され 続— 忍性菩薩御生誕800年記念 (@ninshoseitan800) 2017年7月16日
たのでしょう。御協力いただいた皆様、御参拝にお越し下さった皆様、本当にありがとうございました。手元に写真が無いので、また入手次第アップしていきます。忍性菩薩顕彰会事務局 pic.twitter.com/8NGfJpQH3m— 忍性菩薩御生誕800年記念 (@ninshoseitan800) 2017年7月16日
たくさんの人が忍性菩薩の生き様を知ることで、その慈悲の心が、様々な形で、今を生きる私たちの間に感染していけばいいなあと思います。
北山十八間戸に集まった人々。
焼香の所作にも宗派による違いがあるようでした。
顕任師による法話。熱く忍性さんを語る顕任師の言葉に、皆さん最後まで聞き入っていました。
北山十八間戸での法要の後、般若寺の境内北端にある忍性菩薩利生塔に移動して、こちらでも法要が営まれました。この五輪塔には、竹林寺にある忍性菩薩の遺骨が分骨されているそうです。
© 弥勒の道プロジェクト
奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!