地域の子どもたちを見守ってきた江戸時代のお地蔵様です。
現在は護岸に埋め込まれています。
奈良市教育委員会の報告書「奈良市の文化財調査中間報告〜石造物、わらべ歌、伝説」(昭和52年3月31日)に、下狭川町田辺森の伝説として次のようなお話が収録されています。
静海坊さんの石像
子供達が川遊びに行くと、真っ先に川岸にある大きな石の像にじゃぶじゃぶと水をかけるという静海坊さんの石像のお話です。
昔下狭川町の中墓寺のある所に、松尾山勝福寺という寺がありました。この寺は笠置寺の末寺であったということですが、ここに静海坊というたいそう偉いお坊さんが住んでおられました。寺の下を流れる白砂川は水がきれいでとても眺めがよく、近くの子供達がよく泳ぎに行きましたが、時々溺れて亡くなる子があって、親達を悲しませました。
静海坊さんはこれを大変悲しまれたのでしょうか。いつの頃からか子供達が川遊びを始めだすと河岸の上に腰をおろし、泳いでいる子供達をじっと見守っていられるようになりました。もし溺れかける子供があると、直ぐに飛び込んで助けあげようと思っていられたのでしょう。
子供達がすぐ川へ飛び込もうとすると、
「これこれ急いじゃいけないよ。手足をしっかり動かして、からだに水をじゃぶじゃぶかけて、ついでにわしにも水をかけて、……」
と、いわれるので子供達は自然に軽い運動をし、静海坊さんにも盛んに水をかけてから入るようになりましたので、その後は溺れて亡くなる子もありませんでした。親達もそれからは安心して子供を川遊びにやれるようになりました。
泳ぎつかれた子供達が川岸で休憩していますと、静海坊さんはよく面白い昔話をしてくれました。話し終わって
「さあもう帰るんだよ。」
「もっともっと。」
「次はあした。」
と、言われると子供達は、
「お坊さん有難う。さようなら。」
と、皆にこにこ元気で家に帰っていきました。
こうして子供達に大変親しまれていた静海坊さんも、だんだん年をとってきました。自分が亡くなった後子供達を誰が見守ってくれるだろうかと、心配になって来たのでしょうか。坊さんは自分の手で川岸の岩に大きな像を彫り始めました。子供達は、
「お地蔵さんだ」「いや仏さんだ」等とさわいでいましたが出来上がって来ると静海坊さんそっくりだったので、本当に驚きました。
彫り上がった日、お坊さんは大変嬉しそうでしたが、だいぶつかれていられるようでした。
「この仏さんは私の身代りだよ。みんなのお友達にしてあげておくれよ。」
と、子供達におっしゃって寺へ戻られましたが、それから間もなく亡くなってしまわれました。お坊さんはきっと自分が亡くなってもここで子供達を見守っていようと願われ、またきれいな白砂川の流れが、石像への手向けの水になることを願っていられたのでしょう。
また夏が来て子供達は川へ泳ぎにやって来ました。静海坊さんの石像は強い日光に照りつけられて火のように熱くなっていました。そのとき誰かが、
「これこれ急いじゃいけないよ、……」と歌い出すと、皆静海坊さんのいつもの歌を思い出し歌いながら手足の運動をして、静海坊さんの像にも盛んに水をかけました。こんなことが習慣になってしまって、自然に準備運動ができていたのでしょうか。静海坊さんの石像が守っていて下さったのでしょうか。この川ではその後永く水の事故が起こらなかったということです。
護岸に埋め込まれた静海坊地蔵。昔話が伝えるほど大きくはないです。現在の白砂川は子どもが溺れるような川に見えませんが、コンクリートで護岸される前は水量が多かったのかもしれませんね。
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