光明寺にも石造物が多数あります。
光明寺本堂横の石造物。
「奈良県史 第七巻 石造美術」294ページによると、江戸中期「享保十七年(1732)壬子十月十五日」の銘があるとのことです。
右から、如意輪観音・十一面観音・不空羂索観音・聖観音・馬頭観音・
屋根の下に観音様の名前が書かれています。
光明寺右手から墓地にかけて多数の石造物があります。
室町時代の作。「念佛講人数十九人/元亀二辛未(1571)八月十一日」
桃山時代の六字名号碑
桃山時代の六字名号碑
桃山時代の六字名号碑
桃山時代の阿弥陀如来像?
「奈良市史 社寺編」714ページによると、光明寺は、古くは真言宗、笠置寺末寺だったとのことです。16世紀、時は戦国時代、福岡越前守藤原助宣が城主のときに菩提寺となりましたが、順慶のころ兵火で焼失しました。現在の堂宇は享保元年(1716)再建されたものです。戦国時代には、このあたりを激しい戦火が襲ったようです。
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