この磨崖碑のあるあたりは「五人切(り)」と呼ばれています。
美しく整備された桜並木の端にある五人切磨崖碑。
「五人切」の地名と何か関係があるのでしょうか。
「奈良県史 第七巻 石造美術」および「奈良市石造遺物調査報告書 調書編」によると、右から、地蔵菩薩像(奈良県史では「阿弥陀立像」とする)、舟形部分に「天正十二年甲(1584)/キリーク(阿弥陀如来を表す梵字) 大乗妙典三千部供養/三月廿六日仙眼□□」、方形部分に「天正十二年/西念 道円/南無阿弥陀佛/四月八日/西条 西入/道味」、磨崖五輪塔。
比較的字がはっきり残っています。
左側から見たところ。
明治22年に作成された両町実測図にも「五人切」と書かれています。また、五人切の北、光明寺前の谷に「カシヨ」という小字があります。実はここが現在奈良市福智院町にある福智院が元あった場所と言われています(奈良市史 社寺編 717ページ)。福智院本尊の地蔵菩薩坐像は、福智庄(現奈良市狭川町)で建仁三年(1203)に造立されました。その後、建長六年(1254)、叡尊上人により興福寺南の現在地に移され、福智院が創建されたと伝えられています(大乗院寺社雑事記に基づく福智院リーフレットの説明より)。
明治22年に作成された両町実測図。「カシヨ」「五人切」が見える。
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