縦に二つの龕が作られた珍しい笠塔婆です。
周りに小さな石仏が転がっています。
この笠塔婆のあるあたりに、森八幡宮の神宮寺だった神福寺がありました。神福寺は明治に入る頃には無住となっており、明治時代の神仏分離で明治7年に廃寺とされたようです。笠塔婆のあるあたりを注意深く観察すると、笠塔婆を東南の角として、四角い平坦地があることに気づきます。おそらく笠塔婆の立っている四角い平坦地が、神福寺の跡でしょう。
笠塔婆の立つ一段高い所へは、左側から回り込んで、ゆるやかな坂道が据え付けられています。つまり、笠塔婆が正面を向いている方向に平坦地の入口があったと見られます。
笠塔婆を現在の道から見たところ。空き地のようなところを挟んで、一段高いところにあります。
空き地のようなところを左側に回り込んで(赤い矢印をたどりました)振り返ったところ。丸印が笠塔婆のあるあたりです。一段高いところが四角い平坦地になっていることがわかります。左へ回り込む道は一段高い平坦地へゆるやかにのぼっています。もし笠塔婆の位置と向きが神福寺のあったころから変わっていないとすれば、左側に回り込んだ平坦地の西側が、神福寺の正面だった可能性が高いと思います。
上に阿弥陀仏、下に地蔵菩薩が彫られています。他ではあまり見かけない造形です。鎌倉時代後期の作と言われています。
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