室町時代以降の板碑や石仏が集められています。
突き出した子尾根の小高く盛り上がった突端に、お墓が作られています。
大畑墓地には、墓地移転に伴い、室町後期の板碑などを中心に、石仏や石碑、石塔が集められました。
当尾には、鎌倉時代後半から室町時代の石仏や石塔が数多く残っています。鎌倉時代後期には、有力者や僧侶などの寄進によって、規模の大きな石仏や石塔がいくつも造立されましたが、南北朝時代にはあまりつくられなくなりました。その後二世紀ほどの停滞を経て室町時代に入ると、今度は庶民が、小さな石仏のほか、小型の五輪塔や宝篋印塔を墓標として、多数造立するようになります。室町後期以降の石造美術は、多数作られた一方で、小型化と同時に画一化し、造形も単純です。
大畑墓地のほか当尾各地の墓地などに集められている小さな石仏や板碑は、室町時代後期以降、庶民によって造立されたもので、当時の庶民の力と、新たな庶民信仰の興隆を物語っています。エリート達がつくった造形に優れる鎌倉後期の石仏・石塔とは異なり、室町時代後期以降の小さな石造美術には庶民の願いが感じられるようです。
参考文献:加茂町史 第二巻 p392-402
室町時代以降、地蔵石仏は定番となっていきます。
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