車道から谷を挟んだところにいらっしゃる、堂々としてとても大きな石仏です。
大門仏谷阿弥陀仏。印相がわかりにくいため、阿弥陀如来のほか、釈迦如来、弥勒如来など、諸説あるようです。
印相がわからないため名号が確定していないだけでなく、造立年代もよくわかっていません。奈良時代から鎌倉中期まで諸説あります。このあたりの字名「大門」は、鎌倉初期の貞応二年(1223)に建てられた浄瑠璃寺の西大門に由来すると言われています。石仏の特徴や、かつてあった西大門にほど近いことなどから、鎌倉初期とする説が有力のようです。
なお、浄瑠璃寺西大門がどこにあったかはわからなくなっています。現在の車道は途中から尾根の中腹を巻くように下っていきますが、古くからある道は大門石仏群のあたりからずっと尾根筋をたどります(現在は廃道)。
赤門と呼ばれた浄瑠璃寺南大門が笠置街道の赤門坂を登りきったところにあったのと同様、西大門も大門仏谷南の尾根を登りきったあたりに、建てられていたのかもしれません。もしそうだとすれば、大門仏谷の大きな石仏は、現在の車道から見るよりはいくぶん見下ろす形となったと思いますが、西大門のあたりからもよく見えたことでしょう。
夕暮れの谷越しに見た大門仏谷磨崖仏。
真下から見上げる大門仏谷阿弥陀仏。
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