春日神、八幡神、伊勢神をお祀りする神社だと言われています。
奈良市史社寺編(昭和60年)698-699ページに三社神社について下記のように書かれていました。
祭神は記録では不詳となっているが、おそらく伊勢神宮(天照皇大神)・春日神社(春日大明神)・石清水八幡宮(八幡大菩薩)の三社をまつったものだろう。宝永八年(1711)の石灯籠に「奉寄進 十所権現」の刻銘がある。十所権現は、伊勢両宮・八幡四所と春日四所の大神を奉祀したものと考えられる。明治七年(1874)の神社明細帳には社名を十柱神社としている。(中略)三社神社は古くから中川寺の鎮守と言われている。干天には雨請いの祈祷をすると降雨の霊験があると伝える。旧神宮寺には室町時代の木造十一面観音立像と、江戸時代の弘法大師坐像がある。
鳥居と敷地は南面し、東西南北が意識されているのに、本殿はやや西を向いているのが不思議な神社です。さらに本殿も、本殿を囲う建物と、中心軸の角度が微妙にずれています。参拝者の方を向くように角度がつけられているのでしょうか。
また、東里村史(昭和32年)235ページによると、2月18日には、現在社務所となっている神宮寺最大の行事があり、三社神社の宮座のうち五人衆に選ばれたものが順に当宿を受け持ち、餅を供え、社務所の中で念仏を唱えるそうです。この念仏が他へ聴こえては不吉であるということで、ネコヤナギを持ち寄って寺の縁や周囲を叩き、お経が外へ漏れないよう、音を立てるという奇習があるとのこと。
屋根付きの廊下を登ったところにある本殿。
本殿傍らの石灯籠に「奉寄進 十所権現」とありました。
この灯籠はお陰参りの記念に奉納されたもののようです。正面に「太神宮」、側面に「天保二年卯年二月吉日おかげ」、基壇部分に「□□□(読み取れず)若連中」とあります。前年天保元年に発生したお陰参りに参加した若者組が帰村後奉納したものでしょう。
常夜灯には鹿のレリーフがありました。春日神信仰を暗示しています。
写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら。
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