奈良と京都の県境となっている古道を実際に歩いてきました。中川寺跡では中川寺を探してみましたよ!
浄瑠璃寺南側にあたり、このあたりには昔、赤門と呼ばれた南大門がありました。
浄瑠璃寺へは、今では加茂側から入るのが当たり前になっていますが、ほんの少し前まで、奈良から歩いて南側から入るルートがありました。古くは平安時代、実範上人や貞慶上人が歩いた道です。今回、現在県境となっているその古い道を実際に歩いてみました。
浄瑠璃寺では発掘調査かなにかで池の水が一部抜かれていました。
浄瑠璃寺でも奈良市クリーンセンター予定地の見直しを求める署名が呼びかけられていました。
浄瑠璃寺参道の途中で、おみやげ屋さんと茶店の間を東に曲がります。
浄瑠璃寺参道の途中で、おみやげ屋さんと茶店の間を東に曲がります。
浄瑠璃寺南の峠付近に道の分岐があります。このあたりには赤門と呼ばれた浄瑠璃寺南大門があったと言われています。康永二年(1343年)、この南大門から火災が起こり、浄瑠璃寺の多くの建物が焼け落ちたそうです。峠のあたりはなんとなく開けていて、今でも、昔ここに何か建物があった気配がします。
ここで左に曲がると唐臼の壷を経てわらい仏に至ります。まっすぐ(写真では右に)進むと今回たどった県境の古道へつづきます。このつづきは同じ日の次の記事で!☆(追い追い更新する予定です)
写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら。
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奈良と京都の県境を成す古道〜般若寺・浄瑠璃寺・当尾石仏の里・岩船寺・笠置寺を結ぶ道〜の再発見を通じて、奈良と加茂〜笠置の歴史をつなぎなおす「弥勒の道プロジェクト」。このプロジェクトは、誰でも気軽に参加できるプロジェクトです。参加方法は、古道の存在とその歴史的価値をあなたのまわりの人々に伝えること、古道周辺を探検してみること、それだけです!