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2014年2月1日(土)県境の道の歩き方

  • 養豚場から中川寺跡までの区間は道が荒れていて、歩きにくいところがいくつかあります。2015年12月現在は草刈りなど整備が進みましたので、かなり歩きやすくなりました。こちらの2015年12月の記事「シン・県境の道の歩き方」もお読みください。

  • (2015年12月8日(火) 午前1時46分18秒 更新)
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中川寺跡から流れる小川には崩れた宝塔がちらばっています。なぎ倒された笹薮で隠れていますが、奥にある石橋が県境の道です。

道への入り口

浄瑠璃寺側から進むと、県境の道の入り口はわかりにくくなっています。2015年12月現在は草刈りなど整備が進みましたので、かなり歩きやすくなりました。こちらの2015年12月の記事「シン・県境の道の歩き方」もお読みください。

養豚場から少し歩くと、右手に車の退避スペースのようなところがあります。そこが県境の道に入る入り口です。

よく見ると薮の中に、獣道のような踏み跡があります。

入り口の薮を抜けて振り返ったところ。奈良側から車道に抜けるときは、踏み跡をたどって薮をくぐり退避スペースに出ます。

奈良側から抜ける場合、出口がわかりにくいので、注意が必要です。出口近くになると、道の真ん中に水の流れが削った溝が現れます。道は溝の左側を行くように見えますが、ここで左側を進むと茂みに行く手を阻まれます。おそらく左側を行くのがかつての道だったのだと思いますが、現在は溝の右側を歩く方が、車道に出やすいです。上写真の明るくなっているのが車道です。

1990年代に入ってから道の入り口がわかりにくくなったようです

国土地理院が公開している「地図・空中写真閲覧サービス」で県境の道が見えなくなる年代を確認してみたところ、1990年代に入ってから道がわかりにくくなるようでした。

1975年1985年1992年2008年を並べてみると、92年まで県境の道がうっすらと見えていたのに、2008年の航空写真ではまったくわからなくなっていることがわかります。

ゼンリン住宅地図 では、2005年版まで二重線でしっかり書かれていた県境の道のうち、中川寺跡の谷から養豚場までの区間が、2006年版で消えてしまいます。1990年代末から10年ほどで、急速に道が荒れたようです。

ぬかるみを避けるには

養豚場から中川寺跡までの区間には、常に水が染み出し、ぬかるんでいる場所が二カ所あります。一カ所は県境の道に入ってすぐの峠のあたりです。このぬかるみは乾いたところを選んで歩くしかありません。もう一カ所は、峠を越えしばらく下ったあたりです。こちらは、山側へ大きく迂回する獣道を歩けば回避することができます。

このあたりは常にぬかるんでいて、歩こうとすればくるぶしまで泥に埋まってしまいます。ぬかるんでいるところへ出たら、少し引き返し、右側の山側へ迂回する獣道がないか探してください。大きめに迂回すれば、乾いた地面を歩けます。

ぬかるみを抜けて振り返ったところ。左の山側へ迂回して下りてきました。ぬかるみを回避する獣道は奈良側から歩いた方がわかりやすいです。

かつては水抜きの溝が整備されていたようです

ぬかるみやすいところには二カ所、石橋のような石が設置されています。よく見ると、道の山側に水抜きの溝の跡がありました。これらの石は、山肌から染み出る水を谷へ排水する溝に、架けられていたようです。昔は排水溝が機能していて、こんなにぬかるむことはなかったことでしょう。

排水溝は今はすっかり埋まっています。

ぬかるみの浄瑠璃寺側にも石橋があります。こちらは排水溝の痕跡がわからなくなっていました。

中川寺跡から流れる小川にかかる石橋

中川寺跡から流れてくる小川には石橋が架かっています。石橋の下流にはくずれた宝塔がちらばっています。

上から見るとただの道のようですが、この下は石橋になっています。

別の季節に道を横から写したもの。石積みの上に石橋がのせられているのがわかります。

中川寺跡の谷全体からこのあたりにかけて、1970年代まで田んぼだったようです。ぬかるみやすい場所の南の谷に平坦な場所がありましたが、そこも田んぼだったようです。

昔は谷底が全て田んぼでした。(航空写真の出所:国土地理院が公開している「地図・空中写真閲覧サービス」/1946年1975年1985年2008年

中ノ川と加茂町西小への分岐

まっすぐ奥が浄瑠璃寺です。奥から手前へ歩いてきました。右へ行くと中ノ川です。左へ行くと尾根筋を下って加茂町西小に出ます。画面の手前方向に奈良へ続く道があります。ここから奈良までは踏み跡が濃くなっています。

赤田川付近で通行が困難な状況が続いているため、東鳴川を経て浄瑠璃寺へ向かう道だけが荒れています。他の道は今も日常的に使われているようです。

中川寺跡の一つ西の谷にかかる石橋

こちらの石橋も石垣の上に取り付けられています。今は通る人も少なくなった山中の道ですが、往時はたくさんの人がこの上を歩いたんでしょうね。

少し崩れかけています。

この石橋の周囲も、1970年代まで田んぼだったようです。70年代に放棄されその後雑木林になったものと思われます。

石橋のあるあたり(白い矢印)の変遷。今は薄暗い森の中ですが、ほんの少し前まではもっと明るかったことでしょう。(出所:国土地理院が公開している「地図・空中写真閲覧サービス」/1975年1985年2008年

奈良市で作成されていた地内平面図

も、笠置街道のうち県境となっている区間は、どの地図で見ても道が京都府側にあるのですが、なぜか奈良市の方で地内平面図(昭和58年/第54104号)が作成されていました。この図によると、ほとんどの区間で府県境は道の真ん中にあるものとされています。養豚場のあたりも地図に描かれていますが、朱線で書かれた市有土地境界線はわずかに数カ所あるのみで、測量はしたものの養豚場付近ではなんらかの理由で市有土地境界を確定できなかったようです。

Map.

写真の位置がわかる Every Trail 版はこちら

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